第4話 災難は突然に
「――ところで、おまえの『お茶する』って言葉の意味は喫茶店を指すわけではないのか?」
「いやぁ……ボクだってキミが思う程お金を自由にできる立場ではないんだよねぇ……アハハ」
彼女は気まずそうに語気を弱めた。
そこは時間を優雅に過ごす場所ではなく、平成……いや昭和の貸部屋そのものであり、目の前にはホームセンターで売っている様なちゃぶ台と、2リットルペットボトルとコンビニで売られている紙コップが袋に入ったまま用意されている。
さすがにゴミなどは散らかっていないが、お世辞にもその部屋が令嬢が住まう場所とは言いがたい。
――何かが違う、明らかに何かが違う。
何か裏がありそうだ。ムカついたので追及する。
「それはわかるが、何でこの俺がおまえの部屋でこの様な扱いを受けなきゃならないんだ?」
「いや~ぁ、それはボクとしても想定外なんだよねぇ」
サクラは気まずそうに俺から視線を逸らした。
もし俺が彼女の立場であれば、こんな場所に客人を案内せず、最寄りの上品な喫茶店へと誘っただろう。
ただ、彼女が異世界の留学生である立場を考慮すれば、生活費を抑えるためこの部屋に案内したという気持ちも理解出来る。
――まぁ、そのことは100歩譲るとして。
彼女の『想定外』というのは、それ以降のことを指している様だ。
俺もその違和感を感じずにはいられなかった。
「それでさあ……何で俺はおまえの横に座っているんだ? 普通対面じゃねえのか?」
「そ、それは~ぁ……」
サクラが言葉を詰まり出す。
「言っておくけど今回はボクは関与していないよ。ボクだってキミ以上に困惑している」
彼女の表情を見る限り、大凡嘘は言っていないだろう。
そして部屋の奥からサクラを困惑させている女性と思料する見慣れた顔がニコニコしながら鍋を持って現れた。
「お鍋ができましたよぉ」
その後ろから「お腹空いたぁ」、「さあ食べましょ食べましょ」とこれまた見たことがある先輩と女教師が現れたと思うと見たちゃぶ台のうえの飲み物を片付け始めた。
結局『お茶する』話がいつの間にか『鍋パーティ』に変わってしまった。
「おい、これは一体ど――」
俺の問い掛けの言葉に被せる形でサクラが「これは一体どういうことなんだい!」と彼女らに強く抗議した。
その問いを答えたのはあずきである。ここの首謀者と思われる人物だ。彼女はケタケタ笑いながら答えた。
「龍一朗君に対する謝意を込めて鍋パーティを開こうとしているのよ」
なるほど。あずきはサクラからの報告を受けて急遽この様な催しを挙行したというわけだな。だからサクラも知らなかった訳か。
「はぁあ?! 何でボクの部屋でやるんだよぉ。鍋パするならあずきの部屋でやったらいいじゃんか!」
まあ、人の部屋で勝手に鍋パしているのだから怒るのも無理はない。
ただ、あずきらが自分たちの部屋で催さなかったのは理由がありそうだ。
「じ、実は……今日の鍋は納豆キムチと……ゴニョゴニョ……だから」
あずきは気まずそうに鍋の蓋を取ると、美味しそうな鍋なのだが、何というか……独特な刺激臭がムワ~ンと辺り一面に広がった。
「うわっ臭っ、何この臭い! その具材、キムチと納豆だけじゃないよね?! 絶対にヤバい奴何か混じっているでしょ」
堪らずサクラが鼻を塞ぎながら悲鳴を挙げた。
臭いのする具材は摺り下ろされたニンニク……あとはなんだろう……兎に角、何かの刺激臭がするヤバいものだ。
横で詩菜が「シュールストレミングって缶なんだけど、人見先輩がどうしても食べたいって言うから……」とトンデモ発言している。
おぉう……なんてこった。
世界一臭い食べ物を人見仁美が興味本位で仕入れてきたようだ。
ちなみに彼女はサクラたちの先輩で現在高等部2年生、成績優秀で特殊科の筆頭総代を任されている。
何事も熱心な生徒であるとは伝え聞いているが、俺にしてみれば華のない凡人である。
――それにしてもこの仁美って先輩、頭大丈夫なのか?
もっとも臭いはそれなりには処理されている様だが、それでもしばらくは部屋に臭いが染みついていそうだ。
とりあえず、俺の鼻が麻痺する前に俺の周りだけでも臭いを中和しておこう。
その範囲外にいるあずきは鼻をつまみながら簡単に説明した。
「この臭いでは私の部屋ではちょっと出来ないかなって……それに次入居する詩菜が困ると思うし」
なんて自分勝手な理屈なのでしょう。
本当にヒドい話である。
それにしても、サクラに対するこの扱いって不憫すぎて、思わず笑み――じゃなかった涙が零れそうだ。
「はああああぁ?! 今、ボクの部屋が大惨事で困っているんですけどぉ!」
「アンタは別に大した荷物持って来ていないんだから問題ないでしょ。それに仁美の部屋は書物がたくさんあって可哀想でしょ!」
横で名指しされた仁美がウンウンと頷いている。
「何もボクの部屋でやらなくてもいいじゃないか。他の空き部屋だってあるじゃないか!」
確かにそうだ。空いている部屋があるならそこでするべきだろう。
ただ、それには理由がありそうだ。
「何言っているのよ。そこに私が入るって言っているのよ」
……訂正、自分勝手な理由だった。
でも、ここが学生寮というなら管理人室も含めて4部屋しかないといのは些か少なすぎる。通常なら8人くらいは宿泊出来る様な気がする。
「そこだけじゃない! 他にあるだろ、バカナコの部屋が!」
やはり他にも部屋はあったんだな。
それにしても変わったワードが出てきた。
『馬鹿な子』か。ヒドいネームである。
そしてそのワードで心当たりある人物1人が浮上した。
…………でもあいつは土御門高校だったはず。
もう少しこいつらから話を聞き出すとするか。
「なんだか気の毒なあだ名を付けられた人がいるようだな。もしかしてそいつは――」
サクラに尋ねると、彼女の口が開く前にあずきが話に割って入ってきた。
「そうよ。彼女の名前は真成寺香奈子」
やっぱりそうか。
「香奈子ね。それにしてもヒドいあだ名だな。あいつ、何か馬鹿なことでもヤラかしたのか?」
俺の疑問に答えのはサクラ。ヤラかしは1個や2個では済まないと言わんばかりに手を左右に振った。
「違うよ。アレ、考え方や結論が斜め上行くスーパーバカだからバカナコっていう意味」
サクラも大抵バカであるが、そのバカにそれ以上馬鹿にされる香奈子って一体……
「あいつ、そんなんじゃあ嫁のもらい手探すの大変そうだな……」
俺が彼女に同情を示したが、その俺の様子を見てキョトンとして手を振っているのはあずきである。
「いやいやいや……彼女は確かあなたの婚約者だったと思うけど」
あずきの淡々とした言葉が、俺の頭を3秒ほどフリーズさせた。
「――――いやいやいや、それって何かの間違いだよ」
「間違えじゃないわよ。確かに私そう聞いたんですけど」
「――誰から?」
「あなたのお母様から」
「「「「はぁ?」」」」
俺はもちろんのことサクラ、詩菜、仁美までもがほぼ同時にを裏返った声を上げた。
彼女らは一斉に俺の方に視線を向けたが、彼女らも予想以上に動揺している。
俺は…………動揺を通り越して一瞬、目眩がするほど意識が飛んだ。
「いやいや、嘘でしょ……?」
あらゆる困難を打破し続けてきたこの俺が、この俺が、程良くパニックを起こしていた。
言葉が頭の中をグルグルと巡っている。
だが、幸いなことに俺は向こうの世界で色々経験してきた。
パニックになる俺もいれば、逆に冷静になる俺もいる。
冷静な自分は感情よりも理性の方が強い傾向にあり、それが淡々と記憶の検索を開始する。
頭を巡る度に少しずつ記憶の欠片が頃零れ落ちていく。
そう言えば、以前に父親がそんな事を匂わせる話を言っていた。
あれは京都に行った時だったっけ。
それを確かめに京都まで行ったが、その時は結局誰だったのかわからなかった。
候補として亡命王族で親族の『詩菜』が真っ先にあがった。
逆に候補から外れたのは『仁美』、『あずき』。
緑の杜人出身の仁美とは俺とは接点がなさ過ぎるし、あずきとは歳が離れすぎていたのがその理由だ。
微妙なのが『サクラ』。択一法でも消去法でも引っかからないのが彼女だ。
――その時は曖昧のまま話は流れてしまった。
その条件で不明となれば変える必要がある。
そこで『こいつら異世界人以外で』と条件を変えて、選択範囲は『俺が生まれてから異世界に転移される前に関わった女子』と絞り込んでみる。
脳をフル回転でその女性について検索を掛ける。
そして、検索で引っかかったワードが『じゃあ私達友達になろうよ』だった。
その言葉で俺に話しかけた人物は――真成寺香奈子、その人であった。
一応、条件は合っている。
そいつを最重要人物としてさらに精査を開始する。
精査により、徐々に脳裏に浮かぶ少女。
サルベージュできたのは幼少期から小学校低学年までの記憶である。
真成寺家は神池家の分家で、家人同士の交流はあった。実際、香奈子もうちの家に顔を出していた。
うちの母親にも俺以上にかわいがられていた……様な気がする。
そこであげられる婚約者というのは香奈子である可能性は高い。
だが残念なことに今の記憶はほとんど残っていない。
確かにこの前京都で高校生になった彼女を会ったものの、昔の記憶を塗り替えるまでの印象は残っていない。
それと同時に嫌な過去も浮上してきた。
――――そう、彼女は俺を裏切った。
仮に彼女が俺の婚約者だとしても、俺を向こうの世界に送り込んだ張本人は彼女だ。
彼女の心変わりが原因なのか。大人達に唆されたのか、それとも最初から俺をダマしていたのか…………
だから、仮にそうだとしても、俺はその未来を拒絶する。
…………………………
あずきの余計な一言で嫌なことまで思い出す結果となった。
とりあえず、あくまでもこれは推定だ。事実が確認出来ない以上、それを認める訳にもいかない。
だが、それを完全否定することも出来ない以上、他の連中にしてみれば納得出来ないだろう。
ふと顔を見上げるとサクラと詩菜の顔が俺の顔面近くまで迫っていた。
「おい、ボクはその事聞いていないんだけどっ!」
「私もです!」
彼女らは大層不機嫌な表情で俺を睨んでいた。
「騒がしいな。何を怒っている?」
「何であんなバカナコと君が婚約しているってことだよ!」
「それは私にとっても困ります。あなたみたいな金蔓――っじゃあなかった、高校生にもなってもいないのに婚約しているっていうのはナンセンスです」
何故か彼女らは俺と香奈子が婚約していることに憤慨している様だ……っていうか、詩菜の奴あからさまに俺の事を金蔓って言いやがった。
……まぁ、こいつらはこいつらなりに心配してくれているのだろう。だから敢えてハッキリ言う必要がある。
「そんな話は俺以外の者が勝手に言っているだけで、そんなの俺には関係ない。第一、俺を余所の世界に置き去りにした人物と一緒になりたいと思うわけないだろ?」
俺がそう言うと、何故かサクラと詩菜は若干腑に落ちない様な表情で顔を顰めた。
安心させるハズが、かえって困惑させている感が否めない。
そして彼女らは切ない表情でこう呟いた。
「…………まぁ、親の都合によるものってどうにもならないこともあるだろうけど」
「それならまだいいでしょうよ。私は自分だけじゃなくて拓也のことも面倒見なきゃならないんだから……」
彼女らは諦めの様な言葉を吐露し、俺に絡むのやめた。
どうやら、俺の身を案じていた……訳ではなさそうだ。
急に静かになる部屋。
気まずい雰囲気と刺激臭がこの部屋に漂っている。
あずきがボソリと彼女らの声を代弁する。
「あなたの人生のことについて何だかんだ言っても、結局は彼女達自身、今後の身の振り方に納得いっていないのよ」
あずきの話しっぷりでは、俺の茶番を見てどうにもならない自分と重ねてしまった、ということか。
「時代は確実に変わったハズなのに……か」
あの時、俺は世界を変えた。
でも俺が変えたのは政治や世界観であってここの家庭のものは含まれていない。そこまで縛り付けるつもりもなかったからだ。
また、戦後の処理はまだまだ続いている。
ならば、彼らのためにもさらなる改善が必要なのかもしれない。
そんなことを考えていたが、話を切り替えたのはサクラである。
「とりあえず、辛気くさい話は置いておいて――」
サクラは憂さを晴らすと言わんばかりに、悪意ある話で話の筋を戻した。
「問題のバカナコは、土御門高校に通っている。今は部活の合宿に行っているから不在。だから鍋パはそこの部屋でしようよ」
そう言えば鍋パの話をしていたんだっけか。香奈子の話ですっかり忘れていた。
確かにあいつの部屋なら鍋パしても、挙げ句鍋ぶちまけてもここにいる全員に迷惑が掛からない上、俺の憂さ晴らしにもなる。
グッドアイデアだ。その陰湿な嫌がらせ、俺は大いに歓迎する。
だが、関係者の1人が面倒くさい表情でそれを否定した。
「あいつ、弱いくせにやたらしつこいから面倒なのよねぇ……」
あずきである。
確かにあいつはネチっこい。そのとおりだ。
でもよぉ、おまえも人の事は言えないだろ。
弱いクセにやたらしつこい! 香奈子の大人バージョンだといっても過言ではない。
だからといってそれをこの場に持ち込んでも話を拗らせるだけなのでそれの話はスルーすることにする。
スルーした結果、あずきは何の障害もなく「だから、サクラの部屋で決まりね!」とさっくりとサクラの案を否定した。
「ふざけんなよっ! 第一、龍一朗を説得したのはボクだろ!」
折角の功労者なのに労いの一言ももらえないとは……所詮はおまえの顔ってそんなものなんだな。気の毒すぎて同情する。
「さて、馬鹿共は放っておいて――鍋パしましょ」
あずきの非情な一言で『鍋パ in sakura's room』が始まった。
あずきは怪しげな鍋からオタマで器に注ぐが、予想どおりの結末になる。
悪夢はサクラが想像した形でサクラの膝辺りにブチ巻かれる。
ブチ!
案の定、彼女の方から何かがキレる音がし、鬼の形相であずきにまくし立てた。
「アッチイっ、臭っさい! いい加減にしろこのクソババア! こうなるからイヤだったんだよ! 大体なんだんだよ。ヒトミンも部長なんだから止めろよな、伊達にあずき同様年食っている訳じゃないだろ!」
彼女は怒りの余り暴言をぶちまけた。
そして今度は暴言をぶちまかれた方面からブチギレる音が聞こえてきた。
はぁ……ホラ見ろ、あずきと仁美の額に青筋がうきあがってきたじゃねえか。
これじゃあ『本当に最近の若者は口の利き方がなっていない』って年寄りに言われても仕方がない。
ここは俺がビシッと言ってやらなきゃならないな。
「おいサクラ、いくらおまえがどこかの令嬢だとしても、先輩方相手に言葉遣いがまるでなっていないぞ」
俺がそう言うと、再びサクラの青筋が増えワナワナと震え出す。
俺何か気にすること言ったか?
数秒後凄い剣幕で俺に怒りをぶつけ始めた。
「おまえに言われたくないわっ! 何で中坊までボクのことを呼びつけにしたり、おまえ扱いされなきゃならないんだよ」
「えっ、格下相手に普通はこんなもんだろ?」
「おまえ本当にぶっとばすぞ!」
…………………………
こうして、鍋パは開幕することになった。