ゆるふわ軍人
番外編
第72期、国立士官学校第二演習部隊指揮官、アーノルド・ノックス准尉。17歳。
年下の、俺の上官だ。
我が国の士官学校、その中でも特に優秀な幹部候補生として、座学に剣にと輝かしい成績を残していた。
額面上は。
「アぁぁあーーーーノルド・ノぉおおおックス!!」
「イエッサーっ!!!」
「歯を食いしばれぇえええ!!!」
「イエッサーっ!!!」
ぼぎっ、と人体からしてはいけない音を出して、准尉は吹っ飛ばされた。
「グラウンドを100周するまで帰れると思うなああっ!! 貴様の腐った性根、今日こそ叩き直してくれるわぁっ!!」
「イエッサーっ!!!」
准尉はお手本のように無駄のない動きで教官に敬礼して、頬を腫らしながら士官学校の広すぎるグラウンドを物凄いスピードで走り出した。
「ノぉーックスっ!!! たらたら走るなぁああーー!! 追加で50周ーーー!!」
「イエッサーっ!!!」
理不尽に怒られた続けた准尉は、本当に150周グラウンドを走りきった。
「その目が気に食わんっ!! 学生とは言え自分が軍人であることを忘れるなっ!!」
「イエッサーっ!!!」
ノックス准尉をもう一度殴りつけて、教官は校舎に入っていった。汗だくで、頬を腫らしたノックス准尉が、ゆらりとこちらを向いた。
「.......デイヴ」
「はっ!」
「僕.......本当にそろそろ辞めたいなぁ」
へらり、と笑った准尉。
「准尉殿、ここでは他の目があります」
「.......ついてこい、デイヴ・コレット兵長」
「はっ!」
早足で校舎の裏の人気のない場所、俺と准尉の秘密の溜まり場に腰を降ろした。俺と准尉は、初演習の時に少しすったもんだあってから階級を超え友になった。今では毎日のようにここで愚痴を言い合う仲だ。
そんな准尉は、男前だと噂の顔でいつものようにヘラヘラと笑った。
「今日もしごかれちゃったよ。もう准尉になっちゃったのに」
「皆准尉が気に食わないんですよ。やる気がないのに成績だけはいいから」
「.......昔、辞めさせてくれるかと思ってわざと成績を落としてみたことがあるんだ。そしたら冬の川に放り込まれて、そのままご飯抜きで3日牢に入れられちゃった。次やったら本当に殺すって」
「絶っっ対にやめてくださいね。首席キープしてくださいね」
「あはは、第二演習部隊のみんなのためにも、卒業までは頑張るよ」
この人は、全く全然少しも軍人に向いていない。本人も自覚はあるようで、士官学校にいる今から常に退役の方法を考えている。それで、教官や他の幹部候補生からはとても嫌われているのだ。よく理不尽にしごかれたり、先輩や同輩に集団で袋叩きにされている。
アイツらは剣の実習で准尉に1度も勝てたことがないからと、寄ってたかって無抵抗の准尉を痛めつける。
なぜコテンパンにしてやらないのかと准尉に聞いたら、問題を起こして俺たち部下に何かあったら嫌だからと言う。.......年下のくせに。
「准尉はなんでこんなとこ来ちゃったんですか。街の花屋の方が向いてますよ」
「あはは。昔、お小遣い欲しさに街の将棋大会を回ってたら、いつの間にかね。通ってた学校の先生と両親も、ここの推薦状を見て小躍りしてたから.......断れなくて」
ダメだこりゃ。
この年下の准尉は、全く全然少しも軍人に向いてない。
それでも、俺たち第二演習部隊の部下達は、この上官に従っている。やる気がないくせに俺たちに課す訓練は厳しいし、その訓練の合間に字や勉強を教えてくるし、男前な顔で女性兵士を虜にしていくが、それでも皆従っていた。
理由は単純で、指揮官としてこれ以上ないほど優秀だからだ。
訓練が厳しいのは俺たちが死なないようにするためだ。文字や勉強も、こんなバカ共にどうしてそんなに穏やかに教えてやれるのか、全く分からない。女性兵士からゆるふわ王子、って言われてんの知ってんのか。
「准尉は、軍人辞めるべきですよ」
「僕もそう思うよ。全然向いてないもんなぁ。でも、辞めたら何になろうかな.......」
タバコの吸い方も知らない年下の上官は、夕方の風に気持ちよさそうに目を細めた。本当に、あんたは軍人に向いてないよ。
それにも関わらず、それから数日後。国はずれの街で飢饉があったとかで、幹部候補生の准尉と俺たち演習部隊が、実際の任務に派遣されることとなった。確かに幹部候補生は予備役で、有事の際には実際に働くことになるが、ノックス准尉が選ばれたのは完全に嫌がらせだった。
「准尉殿、出発準備完了致しましたっ!」
「よし! 現地では俺に付け、コレット兵長」
「はっ!」
街への移動中、何度も不安そうに僕は料理ができないんだ、炊き出しなんて荷が重い、と言ってくる准尉は、やっぱり全然少しも軍人に向いてない。指揮官が調理するわけ無いだろ。
早く辞めちまえこのゆるふわ准尉、と。思って、いたのに。
「.......コレット兵長」
「.......はっ」
痩せて、ハエがたかった小さな遺体から、准尉はまっすぐ目を逸らさなかった。
この人は軍人に向いてない。そんなにまっすぐ全て受け止めてしまえば、壊れる。軍人の先輩として、教えてやらねば。
「.......飢饉の原因は、一体なんだ」
「現在調査中でありますが、おそらく治水の問題と気候の問題が合わさったことによるものかと」
「.......そうか」
8つ目の小さな遺体を埋めながら、准尉はぽつりとそう言った。
それから、川を見に行くという准尉に付き添って。
「.......っ生きてるっ!!」
川に浮かんだ9つ目の小さな体を、准尉はずぶ濡れになりながら引き上げた。殴られたような痣だらけでぐったりと虚ろな目をしていて、どう見ても助かりそうになかった。
「生きてるっ!! 生きてるんだっ!! 早く衛生兵っ!!」
「はっ!!」
走り出す直前、子供の口が動いた。「死なせて」と、小さな口が、確かに動いた。
「ダメだっ!! 君は助かる!! 助ける!! この世に幸せになれない子供なんていないんだっ! みんな愛されるために生まれてきたんだっ!! 目を開けろっ!! 生きて幸せになれっ!!」
目を逸らさない准尉の、心を突く叫び声が、刺さった。
それから、その子供はなんとか持ち直した。探し出した親があまりに胸くそ悪いやつらで、この子は近くの孤児院に届けるしかない、というのを、最後まで心配していたのは准尉だった。
「デイヴ」
「准尉、今は任務中です」
「僕.......僕は、軍人になるべきだったんだ。国民の幸福のために尽くすべきが、軍人だったんだ。こんなこと、二度と起こしてはいけないんだ」
まっすぐ、揺らがぬ瞳で前を、何かを見ている准尉。
この日。俺らのゆるふわ上官は、進む道を決めた。
「少尉殿!」
士官学校を卒業して、正式に軍人になって。ゆるふわ准尉は、ゆるふわ少尉になった。
「デイヴ、これ見て。この街はここに井戸を掘るべきなんだ。ほら」
「チャールズ大尉に決闘を申し込まれた直後の言葉がそれですか!?」
「決闘? ありゃ、聞き逃した.......井戸を堀りに行くから、2分で終わらせてくるね」
馬鹿みたいに強いゆるふわ少尉は、変わらず俺の上官だった。
常に本とにらめっこしながら歩き、生き生きとした顔で街ごとに治水やそれにかけるお金の改善案を紙に書いては、軍人が政治を語るなと殴られながらも上に提出していた。
その度、国民の幸福のために尽くすべきが軍人だ、とヘラヘラ笑ってから、政治は語ってないよなぁ、と困ったように頭をかいていた。
「ノックス中尉」
ゆるふわ中尉になっても、ヘラヘラ笑って、畑の肥料の本を穴が空きそうなほど読んでいた。機械の中身が気になる、とよく分解するようになった。
「ノックス大尉」
ゆるふわ大尉になっても、天気の勉強をしてその年の農産物の出来高を予想して、また殴られながら提出していた。
「ノックス少佐!」
ゆるふわ少佐に、なって欲しかったのに。
「コレット軍曹。忘れるな、国民の幸福のために尽くすべきが、軍人だ」
右手のスコップから剣に持ち替え、笑わなくなった俺の上官は戦場に立った。
相変わらず、全てをまっすぐ受け止めてしまうその瞳で戦場を見ながら、何度も仲間の死体を超えた。
「ノックス中佐」
あれだけ生き生きと読んでいた本を焼いていた。いくら教えてもむせてしまっていたタバコを吸っていた。あれだけ大事にしていた畑を軍靴で踏みつけ、井戸に毒を投げ、あれだけ嬉しそうに見ていた小麦畑を、あれだけ大事に思っていた人々の生活を焼いていた。
まっすぐすぎる瞳だけは、折らずに。
「ノックス中佐!」
降伏しようと、何度も叫んでいた。それでも、今更なんの成果もないまま負ける訳にはいかないと、上層部に圧力をかけられた。殴られるなんて当たり前だったのに、この時の中佐は、本当に痛くて辛そうだった。
「.......コレット曹長。あとは、頼んだ」
「お待ちください! お待ちくださいノックス中佐!」
捨て駒として送られた戦場で、捕虜と交換だと言われた。1番階級が高いから、1番剣の腕が立つから。行ったら殺されるに決まっているのに、俺の上官はまっすぐな目のまま剣を捨てた。
「.......そうだな、君たちに、最後に言うことがあったんだった」
「中佐!!」
「全て僕の責任だ。罪のない君たちに人を殺させたのは、僕だ。全て、全て僕ら将校が悪いんだ」
そう言って、まっすぐ前を向いて俺の上官は捕まった。
だから、早く辞めちまえば良かったんだ。あんたは全く、全然少しも、軍人なんかには向いてなかったんだから。
やっと戦争が終わったんだから、好きなだけ井戸を掘りに行こうぜ、と。どこに言えばあんたに届くんだ。
「デイヴー!! 隣の街に井戸を堀りに行こうよー!」
「ノックス大.......アーノルド! 俺は今任務中なんだ!」
「アリッサがお昼にサンドイッチを作ってくれたんだ。これ持って、井戸を掘ろうよ。きっともっと楽になるはずなんだ」
「.......」
「デイヴ? .......泣いてるのか?」
結構気の合う、チョビ髭のアイツには悪いけど。
パン屋のお嬢さん。
俺のゆるふわな友達を幸せにしてくれて、ありがとう。




