第二十五話 食事の挨拶は急変の合図
ジェボールは、王子の身ながらミネルバに色々とこき使われた。いや、こき使わせたのはミネルバではなく、使用人たちなのであろうか。
この晩餐会は、今日突如として王子の救援に駆けつけたスイリュームを歓迎するためのものだ。同時に、明日からの戦いへの滋養をつけるという目的をもとに、王子が提案したものである。しかし敵を歓迎してしまうことになるかもしれないのだ。想像するだけで恐ろしい。
ーーそんな「想像」を頭の中に張り巡らせながら、食器を運ぶ。台所から『神の間』まではそう遠いものではなかった。しかし、一度に多くの荷物を運ぶのは、流石にきつい。
「ああっ、ヤベッ」
ジェボールは勢い余って、皿を一枚割ってしまった。パリンと軽快な音を立てて綺麗に割れた皿を、ジェボールは静かに見つめた。見事に半分に割れている。
すげぇ。声を呑み込んだ。
ーーどうしようか、これから。
ため息が出る。迷いっていうやつだ。
ーー進路を決めた時も、めっちゃ迷ったよな。友達が行くからとかいう理由で米谷高校とか、推しの出身地だかっていう理由で築地高校とか色々希望調査にたくさん書いたなぁ。
彼の脳裏によぎるのは、数年前に書いた、『進路希望調査票』の欄である。その四角には第一から第三希望までしかなかったが、多敷修太は、その3つをオーバーしてたくさんの志望校を書いていた。
ーーああ、今回本当にうまく行くのかな。
不安が現れた。しかし、不安には今は抗えないのもわかっている。今はただ淡々と皿を運ぶ。これをひたすら行わなきゃダメなのだ。
退屈だけど、今はただこれ。これをするだけ。
三往復目。そろそろジェボールの体力は限界に近づきつつあった。滋養をつけるもクソもねぇだろというくらい体力を消耗してしまった。
でも、まだたくさん皿が残っている。運ぶことしかできないんだ、今は。
失望しかけていたその時、
「ドーは土管のドー、レーはレシピのレー」
やけに明るく話しているミネルバの声が、耳に入った。ジェボールにとって、スイリュームの件とは声のトーンが大きく違うように思えてしまった。
ジェボールは怪訝そうに、歩きながらその顔をのぞいた。
「ふぅん、煽ってんのかなぁ」
「いえ、王子の親戚の友達の兄の彼女の出身地には、こういう歌が伝わっているらしいわね。嗚呼、口ずさむだけで心が弾んじゃうわねぇ」
相槌を打つようにウィンクしたミネルバ。
その間違った歌詞に対して、ジェボールは少々苦笑した。皿にももちろん十分の注意を払い、内心ではツッコミを入れる。
ーーいいや、本家様の曲は違うんだよな。『sound of music』って映画に出てくるんだけど、ちょっと原文は日本語でも違うし。
ジェボールは、皿を一枚一枚丁寧に運び入れる。しかし、たくさんの皿か。会場に並んでいる様子を見ると、不思議で不思議でしょうがなかった。
同じく皿を一枚ずつ並べて行っているミネルバに、何気なくつぶやいた。
「あのさぁあのさぁ、なんでこんなにたくさんの皿がいるんだろ」
「滋養をつけるためよ」
そっけない返事が返ってきた。とても思いの外であった。
ミネルバは、台所へ戻るときに言った。
「多分、これで最後の往復よ」
微かな希望が見えた。ーーもうじき飯が食える。それが彼を動かす原動力となった。
最後の往路復路は、とても内容のない薄っぺらい会話だった。ただ飯がくいてぇ、というのが起因する。
★⭐︎★⭐︎
ジェボールは最後の一枚を机に置くと、腹の底から限界に等しい声量で叫んだ。
「みーんーーーなぁー、ご〜飯ーだよぉ〜。冷ぁめちゃぁ〜うよぉ〜」
人数がかなりいたにもかかわらず、かなり彼の声が響いた。反響し、いささか耳障りなものへと変貌する。ミネルバは正直彼の声が耳の保養だと思っていたが、反響するとイケボもブサボになるのである。耳を塞いで、反響の終わりを待った。
そしてその声が反響するのが終わった瞬間、王宮内大広間『神の間』は、たくさんの人並みに飲まれたかのようにごった返してしまった。ジェボールは大きな声で「注意して、お好きな席へお着きください」と呼びかけたが、人数五十人にも張ると、耳も遠いような錯覚を覚えられてしまう。
みんな好き勝手に席を選んだ。ジェボールとミネルバは、幸か不幸か、余り物のとなり合わせの席に座ることになってしまった。
ーーやばい、緊張する。
がくがくがくがくがくがくがくがく……。震えが止まらない。そして、体の温度が上昇しているのを感じている。ほおが熱い。熱い熱い熱い熱い。
ジェボールは、顔の赤さを誤魔化せているか注意しながら、いただきますという食事の挨拶を言う準備をする。深く息を吸い、吐いた。
「では、皆さん。本日は、きていただき、誠にありがとうございます。本日はこれから体力的にもメンタル的にもやられるであろう戦いに備えたスタミナをつけるために、たぁっくさん食い尽くしてください。それではみなさん、」
「いただきます」
ジェボールの声を合図に、皆は口を揃えていただきますの食前の挨拶をする。
周りの人々は前に出されている料理に向かってガツガツと食らい付き、胃袋へと放り込み続ける。端からたくさんのり余録をみんな摘んで食っていた。
ーーぜんっぜん、みんないけてるじゃねーか。
みんなの食う勢いに圧倒され、ジェボールはサラダを掴もうとするスプーンを止めた。こんぐらい食べなきゃいけないと言う責任感に襲われた。
ーーじゃあ尚更食わなきゃだろ。
「いただきますっ!」
気持ちをリセットするために再度挨拶を自分の中ですると、あまり腹にたまりにくそうなレタスにガツガツと食らいつく。そしたらたくさん食っているとみんなに思わせることもできるだろう。
レタスをひとしきり食べ終えた。
ーーお次は、チキンか。
次は、骨付鳥に掴みかかる。塩味の単純なハーモニーに、感動させられる。
ーースタミナもクソもねぇ、もうたくさん食べればいいんだよ。
炒め物の器を引き寄せ、箸と共にガツガツと食らいつく。それはとても上流階級の方々がして良い振る舞いであるとは言えず、はっきり言って行儀が悪かった。
箸で食べ物をつまみ、立て続けに口に流し込む。旨みに舌がついていけなくなる。
ーーはぁ、うめぇ……っ!
ジェボールは、激しい痛みを覚えた。味が一瞬にしてわからなくなってしまった。箸を握れないくらい力が抜けて行った。痛みと同時に、爽やかさが感じられた。
ミネルバは、悲鳴を上げた。
「きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
「どうした」
「あっ、王子が刺されて」
「嗚呼もう!」
楽しい晩餐会のムードは、一気に崩された。殺人現場になる寸前ーー
「ちょっと私にやらせてくれないかしら」
一人の商人のような服装をした女性が佇んでいた。凛々しい表情で、なおもジェボールを見つめている。
チェグロスだ。
「チェグロス、私の代わりに彼を治療してくれないかしら」
ジェボールの都内で大顕のミネルバが告げた。
チェグロスも、冷静に言った。
「はい、もちろん私もそうするつもりなんですよ。わかるでしょう、見たら」
「よろしく頼むわ」
チェグロスは手を彼の傷口に翳し、
「異常治療術 斜血」
と唱える。
しかしその一方、ジェボールの後ろでは、一人の男が、
「チッ、クソアマ、治すってか。お前がジェボールを治す前に俺がクソアマを殺してしまうけどいいかい? いいかい?」
と呪文のように問うていた。
チェグロスは、「上等じゃないの」と言わんばかりにジェボールに触れ続けた。
「王子を殺した。これから食料を徹底的にここから漁らせていただく」
月下の中静かに佇むのは、無常の面持ちを浮かべた一人の細い男性だった。
ーーこいつは、ケルセウス……。ケルセウスケルセウスケルセウスケルセウス……。
ミネルバは嫌そうな目でジェボールを殺しかけたその男の名前を心の中で何度も何度もリピートした。憎らしい響きだ。
「スイリューム。帰還しよう」
ケルセウスはスイリュームの目を見てつぶやいた。
スイリュームは、口元に薄暗い笑みを小さく浮かべていた。




