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音楽とは不思議なものだ。
なぜただの音にこれほどまで人を動かす力があるのだろうか。私は人間の快、不快には理由があるのだと考えている。だから音楽というものが人の感情に大きく作用する意味が分からない。
音とは情報であり、その本来の役割は危険性を素早く得ることだろう。動物の寄生、破裂音、そのような危険かもしれない音を聞くとびくりとする。危ないぞと体が知らせているわけだ。黒板を
ひっかく音が嫌なのは、昔の天敵の声に似ているからというのは有名な話だが、真偽はともかくなるほどと思ったものだ。
逆に快適な音というのはなんだろうか。親しみ深い声は安心するかもしれない。親の声、いつもの音、聞きなれたそれらは安全性を保障するものだ。水のせせらぎは心地よい音だと言われる、私はあまりそう感じたことはないが。水は人間にとって非常に重要な要素だから、それが流れる音が心地よいというのは納得がいく。
人間にとって音は危険性から進化してさらに大きな役割を果たしている。いうまでもなく、話すことだ。つまり情報をより複雑に伝達する役割だ。私はこれが音楽となんらかの関係性を持っているのではないかと思っている。おしゃべりインコが音楽に合わせて歌うのを見たことがある。知能が高く、音をより情報として扱う生き物ほど音楽に反応するのではないだろうか? 勝手な想像なのでそんなことはない気もするが。
例えばリズムというのは記憶力に直結する。アルファベットを覚えるときに、多くの人がABCD♪と覚えることだろう、水金地火木、水平リーベ、リズムと共に歌い上げれば難しいものも覚えやすい。しかし理由としてはいまいち弱い。
人でなければ出せない音だからというのはどうだろうか。今ならともかく、ひと昔前なら音楽というのはそこそこのコミュニティで人が集まらなければまともに奏でられなかったはずだ。もしかしたら昔の人間はコミュニティの結束を強めるためにリズムを刻んで叫んだりしていたのかもしれない。音楽が聞こえるというのが、そのまま近くに大勢の仲間がいることになったりするのだ。
しかしいまいち微妙な考えだ。そうなるとなんで優しい歌、とか元気が出る歌、とかジャンルがこうも分かれているのか分からない。このことについてはまた今度考えてみようか。




