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この世界はまるでゲームのようではないか。特に、生き物についてはそう思うことがある。
パラメータを割り振ったことはあるだろうか? 一昔前のオンラインゲームに多い印象がある。私が中学生のころはまっていたチョコットランドにもそのようなものがあった。キャラクターはポイントを持っていて、プレイヤーはそのポイントを割り振ることで自由にキャラクターの特技を伸ばしていくことができる。例えば、ATKに振れば攻撃力が高くなり、LUKに振れば幸運が伸びるといった具合だ。まあチョコットランドでは極振りといってどれか一つに集中的に振り分けるのが一般的だったが、そのようにしてキャラクターのパラメータの割り振りがプレイヤーの手にゆだねられているわけだ。
私が面白いと思ったのは、このパラメータの上限値というのが生物にも当てはまっているように思えるからだ。例えば私が神であったとして、何か生き物を作ろうとする。生物としての競争に打ち勝つために、私は僕の考えた最強の生物を創り出す。頭がよく、肉体は大きく強固で、水陸両方で呼吸ができ、光合成が可能で燃費がよい。人間など瞬く間に耕され、世界の覇者として席巻することは間違いない。
しかし実際のところそのような生物はどこにも見当たらない。それこそおとぎ話のドラゴンくらいか。それがなぜかと考えたときに、生き物を構成する要素には上限値があるのだと考えると自然と納得できる。頭の良さ、肉体、繁殖力、その他もろもろ。ここでは上限値が100であると考えると、私たちは頭に70ぐらい使っていて、他のものはおろそかにしているような感じだ。コロナウィルスなんかは繁殖力に98ぐらい割り振られてそうだ。殺傷力については、繁殖の過程において生まれる副産物みたいなものだからこの場合加味されないのだろうか。
面白いと思うのは、黒人という人種だ。かなり差別的で失礼な発言になるかもしれないが、黒人とは粗暴で頭が悪いという話を聞く。しかしこと運動に関しては他のどんな人種より優れている。それでつい思ってしまうのは、黒人は賢さのパラメータを運動に少し多く振っている人種なのではないかということだ。
もちろんこれは統計学的なデータがあるとかそういった話ではない。ただの私の妄言である。それにこれは結局のところイメージから想起したおおまかな枠組みでしかなく、黒人でもとんでもなく頭の良い人がいるし、環境のほうが生き物の有様を決定づけるのに大きな役割を果たしていることに間違いない。
だがこのようなパラメータの割り振りで作られた生き物という話が理論的に筋が通るのであれば、それは実に興味深いことだ。生き物というのもなにがしかの法則、もしやすれば神のようなものの意図を思わずにはいられない。




