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今日は実に怠惰な一日であった。どれくらい怠惰であったかというと、おそらく百歩と歩いていないのではないかというくらいだ。これではうんこ製造機と揶揄されてもまったくそのとおりだと頷くことしかできないだろう。
現代の人間というのは実にいびつなものであると感じるときがある。私は基本的に人間の欲求や社会構造について考えるとき、子孫繁栄を出発点に考える。簡単にいうと、私たちにとっての正義とは最終的に人類の繁栄、ひいては自分という個をより深く世界に刻みつけることを目標としているということだ。これは別に人間だけに限ったことではなく、動物でも植物でも、ウィルスにさえ、生物全般に言えることだろう。
だから、あらゆる機能には理由がある。熱いものを触って手を引くのはそれが危険だと本能が知っているからだ。黒板を引っかく音でさえ、かつての人類の天敵の声に似ているとか本当かは知らないが理由があるのだ。甘いものは栄養が多く、苦いものには毒がある。果物が甘いのはその中にある種子を運んでもらうためであり、彼らは動物たちの本能がそれを求めていることを遺伝的に知っていたのだ。もしかした植物と動物の祖先は思ったよりも強くつながっているのか、それとも植物も学習するものなのか。
そういえば一つ大きな疑問があるのだった。イケメンである。これにはいったい何の機能があるというのか。身長が高いとモテるというのは実に分かりやすい。私は武道を修めていたので断言できるが、でかさは強さだ。150cmの達人が200cmの初心者に勝てるかといえば、おそらく負けるだろう。大きい者は上から小さい者を攻撃でき、そして重力は上から下にかかるものなのだ。互いに本気であればまず小さい者は勝てない。女が遺伝的に強い男を求めるのは当然のことだ。自分の子が強ければ、それだけで自分の爪あとはこの世界により深く刻まれる確立が高くなる。金持ちや頭が良いというのもそうだ。社会的に優位な立場を得ることは子孫の繁栄につながる。
しかしイケメンはどうだ? それに何か価値があるのか? イケメンはイケメンであることにしか価値がない、それだというのに性的欲求に与える影響力はこれほどまでに強い。なぜイケメンはこれほどモテるのだろうか? 気になるのはそれが昔から続くものなのかということだ。しかし美人という同じジャンルを鑑みれば、傾国の姫などの逸話を見るに昔からイケメンはモテたのだろう。なので私なりに理由を考えてみた。
思うに、イケメンとは一種の選民装置なのではないだろうか。昔のおたふく顔の平安美人を見ても私たちが自慰に用いるにはいささかおかずとしては不適切だ。それはイケメンや美人という価値観が変動していることを意味している。当然のことながら、イケメンや美人というのはそれだけで権力に近づきやすい。つまりイケメンや美人はより高い権力へと変動していく価値観なのである。そして高い権力へは優秀な人が自然と集まることだろう。それが濃縮されていくことで人類はより大きな発展の鍵となる偉大な人物を生み出すのだ。
まあ今てきとうに考えたことではあるが、他にも色々と要素はあるだろう。にきびのない綺麗な顔というのは、かつては裕福なものにしか許されなかったのではないだろうか。そう考えると日本の異常な白人信仰も、ただ戦争で負けたというだけでなく日焼けする必要のない特権階級という意味合いが含まれているのかもしれない。