21 7/28
恐ろしいことにもう八月に入ろうとしている。入社してからすでに四か月が経過しているということだ。時の流れのなんと早いことか。
とも思ったのだが、思い返してみると入社したときのことはずいぶんと前にも思えるのだ。時が加速し始めたのは、おそらく六月を過ぎたくらいからだろうか。とにかくこの前七月に入ったと思ったのに、もうそれが終わろうとしているのだ。
先日、高校の同級生とZOOMを使ってちょっとしたお話をしたのだが、そのなかで将来の夢はなにかと聞かれた。いや、将来は何になりたいかと聞かれたのだったか、とにかく私はそれに対して、「何にというものはないが、時間が早くなるような生き方はしたくない」と語ったのだ。すると友人は「振り返ると今年も色々あったなと思えるようなことだね」といった。やはり頭のいい人は理解も言い回しもすごい。
頭の良い人というのは一緒にいると、ときどき同じ人間か疑いたくなることがある。同じ景色を見ていたはずなのに、彼らが得ている経験は自分より数倍も多く、そしてそれらを忘れない。だから昔話に花を咲かせていると、こいつはなんでこんなことを覚えているのだと一人戦慄する羽目になる。
逆に頭の悪い人というのも理解が及ばないことがある。そういうものだと理解はしても、本当にそんなことがあるのかと信じがたくなるのだ。天才は孤独だ、などという言葉があるが、なるほど天才からすれば周りの人間は皆あのように見えているのだろうか。感覚としては自分が日常的に行えていることが、他人にはできないということだ。暗記などはその筆頭だろう。天才は一瞬見れば覚え、秀才は計画的に覚え、凡人は間違えて覚え、愚者は覚え方がわからない。デタラメな例をいったが、人間というのは意外と常識の感覚が違うもので、私のような凡人は似たような人が周りに多いものだからなおさらそれに気づきにくい。
しかし、これをなろうで考えると、村の人間なんていうのは教養のない者たちばかりなのだからおそらくその常識の違いに驚かされることになるだろう。というより、日本人の感性を持っていては、適合できないような気もする。
ニキビやシミのない人間はいないであろうし、衛星観念もガバガバだろうし、性には奔放だろう。人生というのは当然他人に決められるものだ。まあそんなことを考えても不都合なだけだから、なろうでは無視されるのが定石なのだろう。




