表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/619

21 7/19


アイサツは大事だ。

笑顔で元気よく、あなたに会えて嬉しいですと伝えることは楽しく生きる人生の秘訣であるといってもいいかもしれない。大人になって思うようになったのは、性格が人を作るのではなく、行動が人を作るのだということだ。


 私が笑顔で元気よく挨拶をすると、ほとんどの人が私は元気な人だと勘違いする。いや、勘違いという言い方は変かもしれないが、私は自分がそこまで明るい人間だとは思っていないのでこのような言い方になってしまうのだ。

 とにかくそのようなことだから、私は元気な人として扱われ、そしてそのような役割を求められるのだ。そうすると私は元気な人であろうとまた振る舞い続けるので、結果的に私は元気な人になる。漫画とかだとこのような振る舞いはいつか破綻するように描かれていることが多いのだが、私はそのようにはあまり考えていないのだ。

 「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。偽りても賢いを学ばんを賢といふべし」徒然草の一節であるが、まさしく言わんとしているのはこのことだ。私は私なりにすごい人間でありたいと思っている。しかしすごい人間というのはたいていすごい努力をしていて、すごい努力というのはまさしく私が苦手としていることだ。しかし挨拶というのはまあ誰にでもできることだが、笑顔で元気よくというのは簡単に今すぐできることでありながら意外と誰もやろうとしないものだ。だから私にとって元気のよい挨拶というのは私を他人と差別化するための、手っ取り早い武器となっているのだ。


 元気な声であいさつをすれば、常に元気であろうとする。周りがそれを求めるからだ。私たちはコミュニティにおいて一つの役割しかやろうとしないので、挨拶だけ元気で他は暗い人間というチグハグな存在は自分も他人も受け入れがたい。さきほど行動が人を作るといったが、正確には社会的コミュニティが人をつくるのかもしれない。母がいくら勉強をしろといってもやらない人でも、クラスのみんなが自分のことを勉強のできるやつだと思っていてそのことを期待されていると、勉強に励むのではないだろうか。

 

 そんなわけだから、私は挨拶は大切だと感じているのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ