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今日から応援で沼津にきている。
正直なところいろいろと不安はあったが、そのほとんどが気にする必要のない結果に終わったことは安心してよいだろう。しかしながら、一つ予想外なことがあった。それは道が怖いということだ。
まず第一に道幅が狭い。広かったり狭かったりとするのだが、狭いところは本当に狭く、運転初心者の私にとってはかなり恐ろしい。だがそんな狭い道でも地元住民は慣れたもので、対向車がすれすれをガンガン通り過ぎていく。
そして何より恐ろしいのが山道だ。行きは太陽が出ているのでまだマシだった。それでもかなり怖い思いをしながら、急カーブ、急勾配の道をなんとか走り抜けて職場までたどり着いたのだ。
仕事が終わるのは21時であるため、当然すっかり日が暮れてあたりには深い夜の帳が下りている。私が泊まるホテルの場所を話すと職場の人が皆が皆、口をそろえてこういうのだ。帰り道には気をつけろと。かならずハイビームにして、ゆっくりと帰るようにとそういうのだ。
いわく、この山道は勾配やカーブが急なこともさることながら、よく鹿やタヌキのような野生動物が飛び出してくるらしい。この暗い夜道でそんなものが突然出てきたら、余裕でひき殺す自信がある。そういう場合ってどうすればよいのだろうか。事故扱いとして警察に届けたほうがよいのだろうか。しかし、よく轢かれた猫を海沿いの道で見かけていたが、わざわざ警察とかそういったことはしていないような感じだった。それで道の真ん中に転がっていた猫の死体を、哀れに思って端っこに運んだのを覚えている。
おもえば、あれが今のところ最初で最後の動物の死体に触れたときであったか。毛の中に潜む生ぬるい血の感触は想像以上に気持ち悪い感触であった。正直あまりに触っていて気持ち悪かったので、運ぶというより引きずるような感じであった。どれほど想像を働かせても、直接体験しなければ分からないこともあるのだとあの時思ったような気がしなくもない。
いや、ある意味で想像通りであったのかもしれないが、ありありとした新鮮な実感というのはそれ以上に心に負荷をかけるのだ。猫の死体の感触を想像できても、出血がないように見えたあの死体の様は分からないし、車がくる前に急いで運ばなければといいう焦燥も思いつかない。
私のような単純な人間は想像がおよぶとしてもそれをありありと思い描くのは一つが限界だ。だから、いくつもの情報が新鮮に重なってそれが心に負荷を与えていく現実で体験するものは、およそ想像の及ばない体験となるのだろう。




