25 7/30
目が三つの魚。
思い浮かんだ今日のテーマだ。何をいっているのかと思われるかもしれないが、私にも分からないので誰にも分からない。今日のテーマを思考の海から吊り上げるとき、私は落書きのような二次元の海に浮かぶボートから釣り竿をおろすイメージをした。釣り人はもちろん私だ。釣り竿の先にいたのは当然、魚になってしまったというわけだ。
しかしただの魚ではなかった。太い輪郭線に細い体、全身赤色で目が三つある。現れたのはそんあ恐ろしい魚だったのだ! しかも片面しか見えていないから反対側の目も三つあるとすれば、なんと目が六つある魚になる。
ところで魚は目があるが、どれほどその目を使っているのだろうか。人間はめちゃくちゃ目を使うので目に頼らない生き方というのはいまいち想像がつかないが、あいつらはけっこう暗い場所でも動き回っているので目以外の感覚を使っていると思う。私はおそらく触覚なんじゃあないかと思っている。水は空気より物の動きをより直接的に伝えてくるからだ。人間は耳の中にある水たまりで平衡感覚を保っているという。だから回ると水が攪拌されて平行感覚を失うのだとか。魚も同じような機構を備えていれば彼らが水の中でわざわざ上を向いていることの説明がつく。
そういえばサメは嗅覚が非常に鋭敏だという話を思い出した。かなーり遠い場所からでも地の臭いをかぎ取ることができるのだとか。でもそれは捕食者として必要な能力であって魚に共通して必要なものではない。
というわけで答えを見てきたのだが、私の推測はまったくの的外れだった。平衡感覚を保つためには耳石というものを使っているらしい。そして水圧の変化を感じるのは触覚ではなく聴覚であるということだ。確かに、私たちも空気の圧力を感じるのは聴覚だ。それは水中でも変わらないというわけだ。
目も種類によるだろうが、けっこう使っているっぽい。魚眼レンズという言葉があるくらいなので彼らにとっても目が重要な器官であることは明白だった。立体視は苦手だが、300度以上の範囲を見ることができるらしい。あいつらは上下にも敵がいるから、あれだけ広い場所を見れるような目の構造になっているのかもしれない。
ここで振り出しに戻ると、二つの目でほぼ全範囲をまかなえるのなら、目が六つある必要はまったくないということだ。立体視はできるようになるのかもしれないが、脳のメモリを無駄に喰うだけでたいした役に立ちそうにない。
急に話題が変わるが、パソコンのグラボが高いのはグラフィックス処理が重いからだ。人間も同じで、一番脳に負荷を与えるのは目を開けていることだと思う。疲れているときは目を開けていられなくなる。脳が負荷に耐え切れず休息を求めているからだ。
ここで思ったのは、グラボがクーラーを使って稼働し続けるように、脳の負荷に伴う負の影響を何らかの方法で取り除くことができれば、人間も一週間ぐらい寝ないで活動できるのではないかということだ。睡眠によって回復する謎の負荷についてもっと調べてみようかな。
 




