21 7/7
今日は七夕だ。七夕といえば織姫様と彦星様が一年に一度会えるという、ロマンティックな日なのである。とだえることのない二人の愛に乾杯を送りたい。
しかし私は思うのだが、二人が長きにわたって愛し合えるのはひとえに一年に一度という制約のおかげではないのだろうか。試練は愛を加速する。経験したことがあるわけではないが、なんとなく人間はそんなものだと知っている。要するに、レジンスタンスみたいな感じゃないのだろうか。たとえ一時的な感情でも、それを押さえつけられると、やはり自分たちが正しいのであり、この信念を最後まで遂行しなければならないという気になってくる。そこに仲間たちとの一体感が乗式に組み合わさって、それはもう手のつけようのないものになるのだ。
学生運動とか、黒人差別反対運動なんかを見ると少なからず人間にはそういった面倒くさい性分があるのように感じる。これは人間が強く社会性を持つ生き物だからこその特徴ではないだろうか。敵の敵は味方なんて言葉があるように、人間が一番団結するのは共通の敵を認識したときだ、たぶん。だから抑圧に対して反発し、団結するという人類共通のものなのだろう。そんなわけで鬼のようなお義父さんに猛反発され二人は駆け落ちに…なんて話の結末はろくなものにならない気がする。障害のない愛なんてのは、あとは勢いが小さくなるだけだからだ。まあ童貞の妄言でもあるので、実際のところこうだと断言できるわけではないが。
しかしまあこの年齢になってくると、だいたいこんなものではないだろうかと考えていたことが本当に想像していた通りのことばかりで悲しくなる。システムによく精通したシリーズの新作ゲームのような感覚だ。知らないストーリー、知らない攻撃、しかしなんとなくしってはいる。こうなると途端現実も面白味をなくす。歳を経ると時間が加速するというのはまさしくこのことを言っているのだろう。知っていることは新鮮な体験として記憶されないから、知っていることばかりで構成された時間は振り返るとまるで矢のごとく恐ろしい速さで過ぎ去ったように感じるのだ。
まあ最初になにが言いたかったかというと、星となったお二人がもし年がら年中一緒にいたら、おそらくお互いの存在に飽きていることだろう。愛を消すのが共に過ごすことだっとは皮肉な話ではないか。なんと愛は消耗品だったのだ。まあそれでもしないよりはしたほうがよい、確実に。消費とは人生を燃やすことでもあるのだから。




