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今日は応用情報技術者試験があった。結果からいえば、合格率は30%くらいだろうか。午前問題が思ったよりも難しくてかなり怪しい。しかし試験時間が長くてかなり参った。午前2時間半、午後2時間半だ。その間ずっと頭をぐるぐるさせているので脳みそのリソースが足りなくなってくる。大学受験だってここまで長くなかった気がするぞ。午後問題の最後のほうは頭をずっと下げているせいか体調が悪くなってきたぐらいだ。成績も微妙そうで、精神的な疲労もあり、試験が終わったときにはくたくたであった。
試験が終わってから友人に連絡するも、どこかで遊んでいるらしく労いの言葉ひとつなかった。傷心の私はますます落ち込んだ。そこに兄から「おめでた」の連絡が入ってくる。新しい命の誕生は実にめでたい。めでたいのだが、置いてかれたとも思ってしまう。結婚はしないつもりと思っていてもそういった現実を目の当たりにして割り切れるほど優れた人間ではない。傷心の私には猶更だ。
おめでとうのラインを送ってから、とりあえず家に帰って走りにいくことにする。散々頭を使ったので、体を使えば気持ちが切り替えられるかもしれないと思ったのだ。走りにいって、ゆっくり風呂に入って回復しようと、そういう腹積もりだ。
しかし二日続けて走りにいってしまったのがよくなかったのか、折り返し地点で右足の親指に痛みが。。どうやら指同士がこすれ合って皮がめくれかけてしまっているらしい。このまま走るのは危険なため、近くのコンビニによってバンドエイドを買って貼り、歩いて帰ることになる。昨日に転んでしまって両手を擦りむいているので、もうなんだか体もボロボロだ。
人が自殺するのは、ときに衝動的であるという話を思い出す。自殺にいたる明確な原因がひとつあるわけではなく、複合的な要因によって心を破壊され、衝動的に自殺に踏み切るというものだ。複合的な要因とはつまり、短期間のうちに不幸が重なるということだ。親しい人間の死、雨が降る、転ぶ、物が壊れる、因縁をつけられる、他人の幸せを知る。ひとつであれば処理できたものが、重ねてくると処理限界を超えて感情が決壊する。そのとき、自分を含む世界のすべて憎たらしく惨めに思え、もういっそ終わってしまえばと思うのかもしれない。
とはいえ、今日の私の出来事はまだ十分に処理できることだ。すこしブルーな気持ちにはなったが、私は感情が一過性のものであることを知っている。ずっと悲しんでいられるほど、私の心は粘り強くない。飽き性なのだ。多分寝て起きたらあるていど復活しているだろう。
でも今日のこの負の感情は決して悪いものではない。負の感情はスプリングを押し込む重しなのだ。今の私には次への原動力がチャージされているともいえる。引き続き応用情報の勉強は続ける必要があるが、次の試験まで少し余裕があるのでやりたかったことにも手を出したい。最近の興味は動画投稿か、Androidアプリの開発だ。AndroidアプリにKotolinかJavaを使うらしいので、またそこらへんの勉強でもしてみようかなと考えている。あと、将来海外にいけるように英語の勉強もしたい。別に英語ができなくても海外はいけるといわれそうだが、そこらへん私は小心者なので。




