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 下書きに以前書いて投稿し忘れていたものがあってので、ぶち込んでおいた。日付がズレるかもしれないが、まあいいか。机を新しくしたのだが、微妙にタイピングがしづらくなった気がする。真ん中がぽっかり空いているタイプなので、肘の置き場がなく宙ぶらりんなのだ。慣れてしまうか、あるいはもう少し内側に肘置きがあるタイプのイスを買えばなんとかなるかもしれない。とはいえさすがに椅子を買いかえるほどの余裕はないので、しばらくはこの空中打ちになれるしかなさそうだ。ゲームをするときなどはマウスとキーボードを離しておくので問題ないのだが、タイピングだけやりづらいな。


 最近になってようやっと冬の訪れを感じられるようになってきた。冬より夏のほうが好きだが、冬の透き通った夜の空気は格別なものがある。ともすれば死を感じるような冷たく恐ろしい夜に好んで出歩く人は多くいない。だから外にいる人はみんな訳アリで、私もその一人になったような気分になる。この世界で誰にも理解されず、冷たい夜風に吹かれ感傷に浸る。そんな主人公になった気分だ。

 何か書こうと思ったのだが、何も書くことが思いつかないまま5分ぐらいたってしまった。これだけ表出したいことが減っているというのは、それだけ空虚な生き方をしているということなのだろうか。やはり歳をとって思うようになったのは、心を動かされることが減ったということだ。腹がよじれるほど笑うことも、何かに興奮して落ち着かないということも、憂鬱すぎて死にたくなることもない。その場での一時的な喜怒哀楽はあるが、人生が決まってしまうと思わせる力は持たなくなった。きっと私は知ったのだろう、たいていのことは何とかなるし、親に嫌われようと、会社を首になろうと、人を殺そうと、戦争が起きようと、人はなんだかんだ生きられてしまうし、この世界が魔法みたいにひっくり返ることがないってことを。

 そして死ぬときはただ死ぬのであって、それ以上でもそれ以下でもないことを。私が死ぬときはこの世界が終わるということで、その後の世界に私の子孫や名声がどれほど引き継がれるかはまったくもって意味のないことだ。それらが価値を持つのは私が生きている間、私がそれを幸せに思う瞬間のみである。なんだか悲観的になっているような。

 やはり冬というのはよくないな。今日は冬のせいにしておこう。客観的、なんて考えは社会が求める基準で個人が好んで行うものじゃない。私の思想は主観的に、ポジティブにいこうじゃないか。さてこの後の寝るまでを何して過ごそうか。

 新しい曲を作ってみよう。サビだけでも作ってみれば楽しい気分になるかもしれない。明るい曲のコードをパクってきて、自分の好きそうなメロディーでも考えてみるか。

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