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 恐怖とは何からくるかについて考えてる。小説家になろうの二大企画の一つ、夏のホラー小説の季節がやってきているが、今年のテーマは「かくれんぼ」ときた。これなら簡単そうだと考えていたのだが、いざどういったお話をつくろうかと考えているとなかなかに難しい。


 恐怖とは何からくるか、人間は本能に従う生き物だと考える私は無難に生命的脅威と答える。例えば痛みは最もわかりやすい恐怖だ。心霊現象にもおいても、生命的脅威はセットといえるようなものが多い。呪い、祟り、幽霊が怖いのはたいてい幽霊が生命を脅かすなにがしかの影響力を持っているからだろう。幽霊=人を殺す、ぐらいの刷り込みがあって初めて幽霊単体が恐怖となるのだ。

 他の恐怖といえば、大きさがあるだろうか。私が大きさに恐怖したのは、海と風車、あと馬だろうか。大きい建造物の麓に立ってみるとその大きさに恐怖を覚えることはないだろうか。まるでこの建物がずっしりと私の上に乗っかってきて私を圧し潰すのではないかというありもしない恐ろしさを覚える。海もそうだが、このあまりに広大な海があっというまに私を飲み込んでしまうのではないかというような恐怖がある。馬については前も話しただろうか。地を打つ蹄の力強さ、洗い鼻息、手を丸ごと嚙みちぎりそうな大きさの口、あれを始めてみたときは例え私は転生しても魔物と戦えないだろうと悟ったものだ。

 しかしどれだけ大きさを文字に起こしてもその恐怖というのは伝わりにくい。ましてや漫画であっても大きさの恐ろしさというのは伝わらないので、その大きいことの偉大さというのは直接目で見なければわからないものだろう。


 さて、ではホラーに相応しい恐怖というのは何だろう? 決まっている、それは分からないという恐怖だ。分からないとき、そこには自身を脅かす存在がいるのではないかと人は恐怖を覚える、あるいはその逆かもしれない。重要なのは、その先に見るものがいくらか肥大化して見えるということだ。幽霊という曖昧で分からない存在とこれほどマッチする恐怖はあるまい。

 昔テレビでブラックボックスの中に手を突っ込んで、その中にあるものを触って当てるという企画をやっていたのを見た。当然ながらそこには当人を傷つけるようなものはないと理性ではわかっていても、誰もが恐る恐ると手を差し込んでは、少し触れてやけどでもしたかのように手をひっこめていた。分からないというのは、それぐらい恐ろしいものなのだ。まあそういった企画でイキった中学生みたいに一気に手を入れて白けた反応をされても興ざめであろうが。


 というわけで、その方向性でいこう。かくれんぼに夢中になっていた男の子。その最中、ありえない現象に男の子は手を伸ばしてしまう。分からないというのは逆もしかりといったように、好奇心を刺激するものであったりもする。もし幽霊が本当にいたら、恐れつつも間違いなく私は舞い上がってしまうだろう。だってすべての創作物が嘘でないというのなら、私が異世界転生して俺tueeチーレムする可能性もゼロではないからだ。残念ながらいまのところ幽霊がいるという実証はないのだが。むしろスマホの普及でいつでも写真を撮れるのに実証がとれないのだからいない可能性のほうが高くなってしまっている。悲しいことだ。この世界にロマンはないのだろうか。

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