24 6/10
ニコニコ動画が見られないのが辛い。今週いっぱいは見られそうになさそうだ。動画を見られないのはまだ大丈夫だが、お気に入りのプレイリストが聞けないことが辛い。そういって走りにいかないでいるのもあれなので、YouTubeで検索して聞いている。幸いにもだいたいの人がYouTubeにも動画をあげているようだ。これを機に音楽関連はYouTubeに移行してもいいのかもしれない。一応プレミアになっているので、オフライン保存も可能なのだ。
まあなんだかんだニコニコ動画が復旧したらそっちに帰っていくのだろうけど。どうしてあまりYouTubeを見る気にならないのだろうか。見れば面白いのだろうけど、いかにも見る気にならない。どうにも私は新しいゲームや趣味を始める前に、それらが建設的かどうかを気にしてしまう。YouTubeはそうではないと判断しているのだろう。ひと昔前にYouTubeの人気ランキングを見て、サムネイルが嫌いだったのを覚えている。先ず私は陽キャが得意ではないので、いかにも陽キャですといった風貌の人間が人生を楽しそうにしているところを見せられるのが嫌いだ。私の人生がつまらないものだと否定されているような気になる。そんな屈辱を味わうくらいなら初めから目に入れないほうがよい。
これはあまりにも卑屈な例だが、そういった側面があったのは事実だろう。そもそもリアルの人間の誰がどうしたといったことにあまり興味を持てない。親はクラスメートの誰がどこの大学にいったのだとか、どこに就職するのだとか、そういう噂話に目がなかったが、私は興味を持てなかった。そうなんだ、で終わることだ。自分との比較材料になるくらいでしかない。誰と誰が付き合っているだとかもよく噂があったが、それらも興味を持てなかった。なので後になってそうだったと聞くことはよくあった。私はSNSもやっていないので、そういう噂も耳に入ってこないのだ。リア充な友人の写真とか見たくないし。
結局のところ、他人との比較材料を最初から減らしておくことで、自己の幸福を自分自身で決めようとしているのかもしれない。何が良い、何が悪いという世間の評価はどうしたって気になってしまう。私はどちらかといえば世間から揶揄されるものばかり好きになる。自然とそうなったのか、私という人間のありかたがそちらに寄ったのか、卵か鶏みたいな話なので分からないが、そうなった以上他人と比較することをはなから辞めたのだろう。負け試合だと思ったのかもしれない。
案外それでやっていけているのだから悪い選択肢ではなかったのかもな。
 




