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最近、転職というワードを聞くことが多かった。周りで変わろうとしている人間がいると、自分も何か動かなくていいのだろうかと不安になる。ある意味で、今の環境はとても安定しているし得難い状況だ。かなり色々とタイミングがあって今の家に住んでいるが、普通ならこんな高い家賃の家に住むことは許されないと思うし、事実今はかなり厳しくなっているようだ。本当にギリギリ滑り込めた。
そういった状況を捨てて新しいことに挑戦したいかといわれると、やはり動きがたいのが現実だ。私は臆病な人間なので、手に入れた今の環境を変えたくない。仕事はほどほどがいいし定時であがりたい。職場から近くがいい。東京に住みたい。手取りはそこそこ欲しい。以前はなかったものを一度手に入れてしまうと、その基準を下げることができない。
それはある種の、生き物に与えられた呪いだと思う。きっと七つの大罪のなんかに入っている。強欲かな? でも今の状況を満足しないというのは正しい姿でもあるのではないか? 絶滅を免れた生物にハッピーセットのようについてまわるのは「適応」という言葉だ。中でも人間はトップレベルに適応力が高い生き物であるように思う。これは勝手な推測なのだけど、なんか語ろうと思ってたけど動画見てたら考えてたこと忘れたわ。いきてりゃいんじゃね。
私は何かにつけてあれこれと理由を探したがる。そうするほうが上手くいくと思っているからだけど、実際のところ結構歪んだ価値観を作ってしまっているとも思う。今の時代は承認欲求が強い人が多いと聞くが、おそらく私もそうなのだろう。でも、先日歳の近い人と話していて、だいたいSNSやオンゲで承認欲求を探しているのに、私はそういうものを求める場があまりないことに気づいた。いや、創作活動は承認欲求の最たるものなのだが、実際のところ私はそれらをまだまともな形に昇華させたことがないので、それで承認欲求が満たされるというのは違う気がする。事実、ほとんど閲覧すらされていないわけだし。
私にとって承認欲求というのは存外小さい欲求なのだろうか。でも自己啓発活動についていえば、これは承認欲求の現れだとも思える。承認欲求の場をネットよりも現実に求めるタイプなのだろうか。
それと、私はどうしても欲望というのは悪いものではないと口で言いつつ、それを無暗に現すことに良くないというか、理想的ではないものとして捉えている。否定の気持ちがあるからこそ何度も自分にそう言い聞かせているのかもしれない。
だから、承認欲求で「見て!」と言えないのだ。それが恥ずかしいことだと思ってしまう。それは大人じゃないと思ってしまう。きっと、無意識的にどっかで承認欲求を否定しているのだ。
でも結局、自分の将来なんかどうにも予想がつかないからな。生きてればなるようになるんじゃないか。




