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星座という漢字があるのだが、なんかカッコイイよなと思う。星が座るというニュアンスを当てはめたのはなかなかお洒落というか、この感じを作った人は分かっているな。実際のところ、座席みたいなところからきているのかもしれない。
とか思って調べてみたら、「座」には組合的な意味があったらしい。よく考えたら○○一座、みたいな表現はたまに見かけたりする。だから、ただ星の集まりを星座と呼んだだけということだろう。なんともつまらない話だ。
星というのが私は昔から好きだった。今は持っていないが、小中学生のころは☆のパンツとかも持っていたし、何かと自分の持ち物に星をつけたがったものだ。ご褒美にもらった星のシールは、おそらく今も実家にあることだろう。
なぜ星が好きだったのかというと、いまいち分からない。ただそのころからきっと一目を気にする人間だったのだろう。男の子が好きなものとして「無難」だと思っていた節がある。高校生にもなれば、身の回りのものに☆マークを置くこともなくなったし、それからはあまり関わりがなくなった。
ただ、小説のなかで「星」の名を冠する武器がでてくるとどこか胸が躍るような心地がする。星衣とか、なんかいいよね、って思う。そういえば昔やっていたチョコットランドというゲームでは、七夕衣装の星衣的なのをずっと着けていた覚えがある。あれデザイン好きだったんだよね。
エルデンリングでもなにかと星にまつわる魔法が出てきたりした。カーリアの輝剣とか、すごいカッコいい。宇宙というのはいまだ神秘に満ちていて、不思議な力を想起させる。見たことがないものが、ありえないスケールで広がっているのだから。たまに宇宙の動画とかを見ると、そのスケール感に脳がバグりそうになる。
何が言いたいかというと、空は神秘的でロマンなのだ。だから誰かが「星々が夜に座っている」といったって良いではないか。現実にどれだけ遠く大きくとも、私たちには目に見える以上のものでしかなく、そしてそれは真実かもしれないということだ。少なくとも宇宙を知る前の人は、星々がこんなに遠いだなんて思っていなかったことだろう。
初めて宇宙を知った人はその大きさに絶望と興奮の笑いがこぼれたんじゃないかと思う。なぜなら地球がすべてだと知った気になっていたら、思ったよりもこの星の外は大きくて、太陽も星も、地球からはものすごい距離があって、どんなに頑張ったってそこに手が届く気はしない。それこそ光の速さとかいう冗談みたいな物差が必要になるくらい。
大きな宇宙、大きな地球、そのひとつの国の、ただ一人の自分。そういうと自分の悩みがちっぽけに思えてくる、なんて話はよくあるが、それはそれ、これはこれだ。悩みはいつも主観的目線の上にあり、主観的目線でいるときは世界が自分から始まっているのだ。




