24 4/23
いつもタイトルの日付は【yy m/dd】という感じで打っているのだが、会社のファイルの命名規則だと【ファイル名_yyyymmdd】というような形になっている。なので最近タイトルをうとうとしてつい間違えてしまうことがあったりする。今日でいえば【mydaiary_20240423】みたいになるわけだ。さすがにタイトルをつけようとしたことはなかったが。日記にタイトルがないので、もし見返そうとか、あんな話題をしたなぁと思ったときに見つけることができないでいる。とはいってもそんな機会はそうそうないのだが。でも冒頭だけはたまに読み返したりしている。
読み返したときに思ったのだが、なんか初めの頃のほうが読んでいて面白いな、と思った。そもそもがつまらない内容ではあるのだが、それにしたって最近の内容はなかなかに酷いものだと自分でも思う。最初のころはどこか鬱屈とした感情や思いの吐露がストレートに表現されていたが、最近の内容はどこかマイルドだ。人の人生を観劇するなら、順風満帆であるより悲劇があったほうがいいということだ。昔から神話はいつだって悲劇がつきものだった。そういう演劇のほうが人気なのだろう。
ただまあ、日記を面白くするために私の人生を悲劇にするというのはいささか本末転倒というか、それは普通に嫌なので、ますますこの日記はつまらないものになっていくのだろうが。私はあまり危ない橋は渡らないタイプの人間なので、環境的要因でもないかぎりはそうそう人生が大きく転ぶこともあるまい。
しかし人生が大きく変わる環境的要因というのは、いくつかあると思っている。ひとつは地震。最近なんかやべぇくらい地震が起きている。さんざん南海トラフだなんだと言われてきたが、いよいよそういうものが近いんじゃないかと思えてしまう。さすがに職場がつぶれるとは思わないが、家ぐらいなら無くなってもおかしくない。川も近いしね。
もうひとつが戦争だ。またイラクとイランが過熱してきているらしい。本格的なものではないが、お互いにミサイルを打ち合って牽制をしている。意外とロシアの戦争もこちらまで影響は波及しなかったが、ガソリンはめちゃくちゃ上がったけど、大きな影響はない。今回もそうなるといいのだが、と口では謳いつつも、内心大きなドンパチを期待してしまうのは私が邪悪なのだろうか。
きっと後悔すると知りつつも非日常を期待してしまっているのだろう。前もいったが、もし異世界のゲートが目の前に現れたら私は踏み込む。後悔するだろうと分かりつつ踏み込む。でも今の環境を変えると後悔すると知っているから、やっぱり自分から動く予定はないのだ。わざわざ異世界のゲートを探すこともない。異世界は憧れるくらいでちょうどいい。
なぜ人が自分にないものを求めたがるのか、やはりそこに楽しみがあると思っているからだと思う。有名人になったら、異世界にいったら、好きなことができたら、海外なら、そこには楽しいことがあるはずだと思う。隠された宝箱の中に財宝を期待してしまう。
戦争なんてのは開けてみたらパンドラの箱と大差ないだろう。これに期待するなんて馬鹿でしかないと理性はいうのだが、いかにも感情というのは度し難いものだ。
 




