21 6/14
5日ぶりほどに我が家に帰ってきた。我が家といってもレオパレスの小さな独身寮であるが、自分一人だけの空間というのはそれだけで大きな安心感がある。なんというか、ここでは何をしても誰にとがめられることもないという前提があるから、誰の視線も気にせずに物事に向き合うことができる。
家族にも正直になれないというのはちょっとどうかと思う自分はいるが、それはもうどうしようもないというほどではないが、なんとなく変え難いことのように思うのだ。高校生のころ、小説家になりたいと言った私の愚かな考えを肯定してくれた両親だ。いまさら私が何をいようと、ほとんどのことは受け入れてくれるだろうことはわかっている。だから私がしょうもない趣味を打ち明けて変なやつと思われることを恐れているわけではない。
おそらく、親の前で友人と戯れるのを見られるような気恥ずかしさというのだろうか。そのような気恥ずかしさがあって親に私のことを打ち明けるのが恥ずかしいのだ。
昔の私は、アニメだとか萌えキャラというやつが嫌いだった。三人兄弟の長男である兄がそういうものが好きだったのだが、硬派を気取っていた私はそういった軟弱なものを好む兄を小馬鹿にしていたのを覚えている。
結局今はそういったサブカルコンテンツにどっぷりはまっているのだが、いまだに私はそれが他人に言えない趣味だと考えているところがある。「休日は何をやっている?」と聞かれて「ゲーム」と答えるのは、それまだ無難な答えだと思っているからだ。昔嫌っていたいただけに、これを好きになったことに大きなコンプレックスを抱いているのかもしれない。そして昔の自分と同じように、軟派なやつだと軽んじられることが怖いのだ。
たまに休日なにをやっているかと聞かれて、ゲームも漫画も、特に趣味があるわけでもない虚無のような返答をする人がいる。ただ私はその人がなぜそんな答えをするのかわかる。自分が好きで時間をかけているコンテンツが、一般的には受け入れがたいマイナーなものだとコンプレックスを抱いているからだ。だから他のことに時間を割いているわけでもないのに自分の趣味を語るわけにもいかず結果としてぽっかりと大きな穴ができてしまうのだろう。
まあこんなの私の話をもとにした予想でしかないのでなんとも言えないが、あながち間違ってもいないと思う。今はインターネットが当然のツールとなり、百人がそれぞれ自分の好きなように好きなものを探す時代だ。その結果、人は違う狭い趣味にたどりついてしまう人がいるのは当然のことになっているのだろう。




