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 世界平和について考えてみよう。無理だと思う。終わっちまったよ、俺たちの夢が…。

 私は本能原理主義者であるので、そこに照らし合わせて考えると世界平和というのはかなり難しいと思っているのだ。生き物にとって平等ほど遠い言葉はない。なぜかは分からないが私たち生物は自分という存在をこの世界に刻むために生きているらしい。なぜかは分からないが、そういうものであるようにしか思えない。それは木からリンゴが落ちると引力に引かれるのと同じようなもので、生存競争というのは生物に課された自然法なのだ。それに則ると、世界平和というのはどうも無理があるように思えてならない。数学で1+1=0と言っているくらい無理があるのだ。

 しかしながら、いまさらだが世界平和というものについて考え直してみてもいいのかもしれない。世界平和がすべての人が平等であるということではないからだ。もし仮に全人類の平等が達成できたとしても、それで幸せを感じられる人間はほとんどいないだろう。喜ぶのは相対的に不平等であったモノだけで、彼らも近いうちに平等であることに不満を覚えるに違いない。今度は他の人が不幸になるべきだぐらいに思うかもしれない。平等というのは集団を円滑に動かすためのルールのひとつであって、それ自体が幸せのもとではないのだ。

 じゃあ幸せとはなんだよと思う。前にもこんなことを話題に挙げた気がする。あのときはどういう答えを出したのだったか。今思うのはこうだ。幸せというのは、自分の境遇が改善されたときに感じるもの、ということだ。自分といっても、自身のみならず家族や恋人、あるいは友人や付き合いのある人間にまで広義の自分だ。私にとって価値のある存在ならそれは自分に含まれる。境遇の改善というとお堅い感じだが、これはプラスになることすべてと捉えていいだろう。収入が増えることも、恋人ができることも、嫌な奴が死ぬことも、それにあたる。自分が望む方向に物事が動いたときに幸せを感じるのだ。

 それで思い出した。以前の私はこれを、欲望が満たされたときに幸せを感じるのだと書いたのだった。こちらのほうがスマートでわかりやすい。だから私は欲望を大事にしたいとも、同時に幸せが消耗品であるとも言った気がする。そう考えると、結局のところ個人ですらすべての欲望を満たすことはできないのではないかと思う。つまりこの世界では、個人平和すら恒久的に叶えることは不可能に近いということだ。まあこれも平和の捉え方によって大きく変わるのかもしれないが。もし平和が、ただ殺し合いのないことだというなら、それはいずれ叶うことなのかもしれない。

 最近思うのは、私たちが仮想世界に行くよりも先に、情報世界が現実世界を浸食するのではないかということだ。いまこの世界はあらゆることはデータ化され数値化され始めている。今までは見過ごされてきた人間の個性が数学的に解読できるものとなりつつあり、いずれ全人類は管理し合う関係になるのかもしれない。それはそれで面白うな世界だ。

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