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人生にはロマンスがあるべきだ。
それが悲劇であれ喜劇であれ、観客に徹するよりはよほど良いだろう。だけど得てしてそれらは舞台の上で語られるものであって、私たちの生活には存在しないし、そうあるべきでもない。人は安泰を求めずにはいられないのだ。人だけじゃなく、多くの生き物がそうなのだろう。飢えることのない上手い飯があって、安全な巣があって、交尾をして、子孫を残す。動物としてのあるべき理想だ。それ以上を求める必要がどこにあるのだろうか?
だからほとんどの人は、気の迷いのような欲求が生まれても、今の生活を捨てることはない。正常な、あるべき道が勧められる。それは私もそうだ。どれほど異世界を語ろうと、何の作品に感化されようと、結局普通に社会人をやっている。小説家にはなれないし、YouTuberにも、絵師にも、社長にもなれやしない。何をやろうと中途半端でなり損ないに留まるのだ。それは現実に必要な努力に打ちのめされることもそうだし、なにより今の生き方の心地よさを知っているからだ。想定もできないリスクばかり考えて、挑戦することをハナから諦めている。あるいは逃げ続けている。現状に満足しているのだ。だが満足してはいけないという自分がいる。おかしな思想だ。
きっとそいつは今の生活に「飽きる」ことを恐れているのだろう。だから新しいことを、次の挑戦をと私を責め立てる。幸せは消耗品だと、以前何かで言ったろうか。きっと満足というのも幸せの形のひとつだ。だからそいつはきっと数年で擦り切れる。そうなる前に、私は変化を探さなければならない。その変化は大きく、そして金が儲かるほうが良い。楽しければ最高だ。
なぜこんなおセンチな話題を出したかというと、映画を見たからだ、三本ほど。見たのはホラー映画の名作【IT】、続いて【最強の二人】、最後はタイトルも忘れてしまった。おじいちゃん三人が銀行強盗をする物語だった。
一番最高なのがなんだったかといえば、それは【IT】だ。ただし、ホラー映画としての出来は別に大したものではなかった。ニコニコ動画でよく見てきたあのピエロは私にとってもはやちょっとしたギャグみたいな、馴染のある存在だったのだ。でも、子供たちの物語はよかった。
吃音、もやし、潔癖、デブ、負け犬と呼ばれる子供たちが、ふざけ合いながら青春し、成長し、そして立ち向かう。負け犬どもが次第に増えていくのも面白いし、いがみ合いながらも成長するのも良い。少し前にも思ったが、私はこういう子供たちが各々の役割をもって立ち向かう展開が大好物だ。別に子どもたちじゃなくてもいいのかもしれない。でも、弱い存在が強い存在に協力して立ち向かうという意味で、誰もが大人や不良、お化けの怖さをよく知っている。だからそれに立ち向かうために皆が一体となって協力するのは、こう熱いものがこみあげるのだ。そういう設定の小説を考えてみるのもいいかもしれない。まあ私にとっては気を紛らわす程度のものになるのだろうが。




