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佳境を越えた。
どうやら私はこうして自分のなかで温めていた妄想や思考を書き起こすことが好きであるらしい。しかしよく考えているみるとこれは日記というよりただの語りである。ただの自分語りである。なるほど道理で面白く感じるわけだ。まあそこのところ今更気にしてもしかたないので自分語りでも問題ないだろう。星の数ほどではないがとんでもない作品数がある小説化になろうにおいて、わざわざこの作品を開いたのは伊達ではない酔狂な人しかいないのだから。
なろうといえば、巷ではいま追放ものが流行りであると伺っている。これは私にとってたいした朗報だ。なぜなら私はダークファンタジーとか、そういったジャンルの作品に目が無いのだ。漫画ならベルセルク、なろうなら用務員さんとかそういったものを熱く拝読させて頂いた。初めて読んだなろう作品も、一応ダーク枠に入る盾の勇者のなりあがりだった。なので喜ばしい事態だと思ったのだが、残念ながらこの追放ものの流れはあまり私の好みとは合致しなかった。
なぜかといえば、この追放ものは主人公が追放した奴らにやり返す、いわゆるざまぁをするというのがメインテーマになっているのだ。主人公が辛い目に会うのは最初だけで、この最初というのもまだお話に入り込めてないのでいまいち感情移入しにくい。そうして追放された後はとんとん拍子に物事がうまくいき、逆に追放した勇者パーティーだとかは主人公がいないためにころころと崖を転がっていくのである。
どこかできいたような話だな、と思えばそうだ、これは私が思い浮かべた妄想と似た展開ではないか。そのとき私は部活内でのカースト立場はあまりよくないものだったのだが、お前ら俺が部活辞めたらどうなる? みたいな妄想をしていたのだ。さすがに自分が部活を辞めてうまいこといくというところまでは妄想が波及しなかったが、こいつらは悲しむだろうとか、引き止めるだろうとか、そんなことを考えていた。悲しいことに理性は誰にも悲しまれず何事もなかったように部活動が続いていくことが分かっていたので実際にその選択をすることはなかったのだが。
これはきっとコミュニティにおいて社会的に求められたいという欲望に起因しているのではないか。コミュニティに属しているはずなのに孤独を感じる、一人でいるよりパーティに出席したほうが孤独を感じる人間なのだ。なろうにはそういった層の人間が多いのか、あるいは私が気づいてないだけで多くの日本人は社会的な孤独をひっそりと感じているのだろうか。
小説家になろうの良いところは欲望がストレートに表現されていることであると思う。中高生の妄想みたいなのが作られていて、それが実際に人気であったりするのだ。誰もが大人になっても中高生、いや小学生の妄想を隠し持っているのだろう。それを隠すのがうまくなったというだけで。
しかしこの匿名の投稿サイトでは自分を偽る必要はなく、恥や理性を隅において直情的なこれらの小説を楽しんでいる人が多くいる。最初こそハーレムや俺tueeeといった分かりやすい欲望が人気となっていたが、今ではNTRから追放といったようにかなり歪んだ欲望までもがストレートに表現されているのだ。なろう研究家になれば、現代社会の欲望をより深く理解できるかもしれない。もしかしたらそこから次の流行を予想することも可能かもしれない。
現代なら承認欲求をたぶんに満たせるもの、それも自分の価値が非常に高いものであると主張できるものが良いのではないだろうか。不要だと言われた俺、実は超有能で国中から引っ張りだこでそれを知っていた美少女とスローライフします、みたいな。