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 たまに時間を忘れるほど熱中させられるコンテンツというのがある。そういうものに触れると、どこか熱に浮かされたような気分になって、なぜだかいてもたってもいられなくなる。自分も何か作らなければとか、自分も同じようにならなければと、そう思ってしまう。

 でもそれは本当に一過性の風邪のようなもので、一日二日と経てばその熱は冷めてしまう。もう少し、なんならずっと焦がれていたいのだが、私にはその才能がないのだと思う。クリエイターに一番大事なのは、そういった熱意だと思うのだ。無論プロのクリエイターとして会社に勤めるなら、わたしでもできるのではないかとは思うのだが、個人でやる、私だけの私の思い描きたい世界というのはきっと熱意がないとできないものだ。

 きっと私は生涯自分だけの作品を創り上げることはできない。それを考えると、少しだけ悲しくなる。それは隣の芝生に憧れるのと同じだ。芝生を整えるに必要な苦労は知らずに、自分の家もあんな感じだったらいいなと思っている。私は私で、彼らが持っていないものをたくさん持っているはずなのだが、それはには気づけずにいる。彼らが代わりに何を犠牲にしてきたのかわからないでいる。言葉でそれを知ったとしても、体験しないかぎりはそれを理解できることはない。

 いつからか私は賢しくなって、このできごとはこうなるんじゃないかとか、こういう体験ではこういう思いを抱くだろうというのが、知らないものでもなんとなく分かるようなってきた。でも分かるようになったからといって、本当の感情はやはり経験なしに語れないのだと、最近気づきなおしている気がする。どれほど予想と対策を重ねて心構えをしていても、やはり感情というのは制御しがたい。でも、それが正でも負でも、そのとき感情に振り回されている私が最も生きているとも思う。生きていなければ、人生に味はでてこない。感情の乱高下が激しい人生ほど、きっと面白い。

 それが過剰だと社会不適合者になるので、周囲との協調性を考えると私の道義的に許容できる範囲というのはあるだろうが。そういう人生を送れたら、幸せな生と呼べるのではないだろうか。といっても、改めて考えると今までと求めているものはそう変わらない。激しい感情というのは、激しい欲求によるものだ。

 欲望。やはりこうつとどう付き合っていくかで、人の人生は変わっていくのだろう。

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