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リングフィットアドベンチャーを始めてから既に5か月以上が経過している。途中経過をあまり報告しなくなっていたので、私のことだからもう飽きていると思われているかもしれない。しかしそうではない、まだちゃんと続けている。でも最近はリングフィットをやる代わりに、走りにいくことが増えてきている。昔は体育で長距離走とくれば、憂鬱だった覚えがある。誰しもそうだろう。私は別に特別遅いわけではなかったし、むしろクラスでは長距離でも早いほうだった。それでも苦しい時間が続くというのは、やはり嫌なのだ。
でも最近になって、無理なく走るというのは気持ちの良いものだということに気づいた。学校教育の悪いところは、何事も詰め込みすぎることだと思う。何かを学ぶというのは人間の武器であり、本来なら人は学ぶことが好きなのだと思う。教えることが好きなのだと思う。でも勉強というのは、辛く苦しいものの代表格という顔している。
それも当然で、小学生のころから毎日のように五時間近く椅子に座って勉強をしているのだ。人間以外の生き物に同じことを強いたらストレスで死んでしまうのではないだろうか。どれだけ好きなものでも、仕事にすると嫌いになるという話はよく聞く。それは仕事に関わる様々なしがらみもあるだろうが、関わる時間が多すぎるというのもあるのではないだろうか。今の社会は生物的に見れば過剰な勉学というのが、当然のものとして横行しているのだ。
では、現在の環境を否定したいかというとそんなことはない。以前もこんな話をした気がするが、既に人間というのは生物の枠組みを壊すほどに強くなりすぎている。地球上のほとんどの環境で生きていけるし、どんな生き物より強いし、これだけ聞くと僕が考えた最強の生物みたいな状態になっている。
でも、そういった性能は知恵によるものだ。このまま人類が生物の枠からはみ出し続けていくなら、それに見合った性能、つまり知恵による技術革新が必要になると思う。そのためには、多少強引でもあの過剰な就学環境というのは維持する必要があるんじゃないかなとも思えるのだ。
それにしたって、運動する楽しさまで勉学的に捉える必要はないと思うが。スポーツというのは、楽しいから皆に広まったと思うのだ。プロになるのでもなければ、それは自分のペースで、楽しみながらやればいいのだ。それこそ、音楽でも流していいと思う。著作権フリーでいいから。




