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友人が政治についての話をしていた。政治の話というのはしばしば敬遠されるもので、親しい人ともその話題について共有されることは基本的にない。彼の話をてきとうに要約するとこうだ。
若者の投票率の低さを上の世代は批判的に見ている。しかしその大きな要因はこれまでの口先政治と教育環境によるものであり、私たちを一方的に批判するのは筋違いである。
なるほど、確かに納得いく話であるし、それは違うんじゃないかと思うところもある。正直私は政治について真面に考えたことがないのだが、この考えてないという状態こそがまさしく彼の指摘している「政治に関心のない若者」を作り出した環境によるといえるだろう。
得票率の低さは若者の政治への無関心がほとんどの原因で間違いないだろうが、一方でそれは教育環境に原因があったのだろうかと再考したい。いってしまえば、私はそれが原因としては二番手に挙がると思っている。三番手は政治の腐敗と政治家への期待が持てないことだ。
さて、では私が思う政治への無関心の最たる要因とはなんだろうか。それは現状に満足している人間が増えたからだろう。不満や文句というのはままならない現状にたいして出てくるものであり、現状に不満がないならば政治への不満もそうないだろう。
では上の世代の政治は悪くて、今の政治は良いのかというと、そんなことはないだろう。多分政治家のイメージについて若者にアンケートをとれば多くのネガティブな意見が聞けると思う。主観なので正確なことはいえないが。
上の世代と若者で何が違うのかというと、それはコンテンツの多さだ。上の世代にとって政治とは共有しやすい話題であり、一種の楽しめるコンテンツとしての役割があったのではないかと思う。飲みの席で税金に文句を言ってみたり、自分の理想とする政治を熱く語り合ったり。それらは若い世代がツイッターで運営にお気持ち表明したりするのに少し似ていると思わないだろうか?
簡単にいってしまえば、他に面白いことがいっぱい出てきたので、わざわざつまらないものを見る気がなくなったという話だ。結果として政治の役割だけが独り歩きを始めてしまって、コンテンツとしては上の世代にしか受け入れられなくなってしまったのだろう。
当然のことだが、社会を憂うより自分の楽しみを優先するのが人間というものだ。若者が政治に興味を持つようにするには、少し過剰なまでの義務教育における政治指導か、個々人に危機にさらされるほどに国が落ちぶれたときだろう。




