21 5/18
習慣というのは大切だ。
常日頃行っていることは常習化し、肉体がその行動を記憶していく。そうなるとそれを変えるのが難しくなり、さらに積み重ねればより慣習化されていくのだ。
つい最近までは二時をまわってから眠ることが当然であった。むしろそれ以前に寝ようと思ってもうまく寝付けないような状態に陥っていた。つまりそのような遅寝遅起きが常習化していたわけだ。しかしながら仕事を始めてから、いや一人暮らしを始めてからというもの12時にもなればかなりの眠気に襲われるようになった。そして目覚ましをかけなくとも朝の7時か8時には目が覚める。朝にゴミを出してくれる人も、ご飯を用意してくれる人も、今はいないのだからそうでなければやっていけないのだ。ニートを矯正させるのに一人暮らしというのは意外と有効な手法なのかもしれない。
私の場合、頼る先があるとその分だけ頼り甘える。一人で食事にいけば店員にも自分から挨拶しお礼を述べるが、親と一緒にいったときは任せるままに付き従い、スマホをいじって店員はほとんど見向きもしない。そういった傾向があることは自分でも十分自覚している。必要なのは積極性というやつだろうか。勝手ながら日本人が嫌いな言葉ベスト10に入るのではないかと思っている言葉だ。
私は自分以外の人がいるとその人に任せておけばいいという臆病な心意気が習慣となっているのだ。こういったものは習慣となれば性格にもなる。引っ込み思案で前に出れない人だ。しかしながら性格というのはある程度作ることができるものでもあると思う。だからせめて仕事の私は積極性のある人間を作り上げようと思って研修ではそれを実行したのだ。
結果としてそれはある程度成功して、皆が私は積極性のある人間だと思っているようだった。しかしながら普段からやっていないことをやったものだから当然違和感のようなものを感じている人もいたようだ。こういうのは慣れている人でなければ出せない貫禄や自然さのようなものがると思う。だから私の課題はこの積極的な姿の虚構をいかに演じ続け本物にしていくことができるかということだろう。
誰が何をするにおいても、初めは真似から始まる。だから極論を言えば、私はどんな人間にもなることができると思う。しかし今まで積み上げてきたものが力にも枷にもなって、私の選択肢を狭めているように思うのだ。もちろんそれは単純に悪いことではなく現実的で安定的な選択というのが現れてくるのだが、私は藪の中に隠れている偉大な冒険者たちが踏みしめた道をのぞいてみたいという気持ちがある。
いまいち何を言っているのかわからなくなってきたが、とにかく高みを目指してみたいということだ。それが今私が夢見ている道なのだ。




