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日記を書くことをおススメしていた友人が一か月達成したらしい。絶対続かないと思っていたので、正直驚いている。少なくとも私は最初続かなかったので。そうなると自分の継続力のなさが露わにされるようで悲しい。それでも現在はこうしてほぼ毎日書いているのだから、むしろその成長を喜んでやろうではないか。
見せてもらった日記の中に「チーレムもの」と「悪役令嬢もの」の違いについて触れているものがあった。あまり深く考えたことがなかったが、、この機会に私もそのことについて少し考察してみよう。
先ず単純に、悪役令嬢ものというのは女性向けなろう小説だという認識であった。間違いではないが、正解ともいえない。昨今では悪役令嬢ものというのもなろう界隈で飛ぶ鳥を落とす勢いであり、すでにランキングを席巻しつつある。女性読者が増えたという可能性より、男性読者にも令嬢ものを読む人が増えたと考えるのが妥当だろう。実際、私もいくつか手を出したこともあるし、今期放送されている『転生王女と天才令嬢の魔法革命』というアニメを見ている。以前にも『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった』というものを視聴した。令嬢ものは男性にも受け入れられる下地が十分にあるように思える。
友人は小説に求めるものに、チーレムものには「カタルシス」を、令嬢ものには「報われ」と定義していた。面白い考えだ。チートというのは現在の困難な状況を圧倒的なものによって打破する、いわば爽快感が鍵となる。楽をしてすべての欲を満たしたいという、人間の純粋な欲望が素直に表現しているジャンルだ。そういう意味でこのジャンルが小説家になろうで最初に覇権をとったのは、実に当然であったとも思える。
つまりこのチーレムこそがなろうというポルノ小説の原点であって、他のなろうジャンルはその派生として生まれたものだとも思うのだ。令嬢もの、復讐もの、追放もの。共通するのは困難な状況に立たされた主人公がそれらを覆すという展開だ。ただしその環境や過程が異なる。
令嬢もので鍵となっているのは主人公の「無垢さ」であるように見受けられる。令嬢主人公は基本的に「悪さ」をしない。嫌がらせをされた相手に、この女郎ムカつくから今度はこっちがいじめ返してやるみたいなことは基本ない。主人公は元気だったり物静かだったりするが、陰湿な欲望を出したりしないのだ。
それがなぜかというと、私が漫画の主人公になりたいように、女性主人公にも理想を乗せて描いているからだろう。そして世間一般のあるべき女性像とは、そういうものなのだ。そして理想的な女性が理想的な振る舞いで頑張っているのだから、それは「報われ」るべきなのだ。
頑張っている主人公が報われるという点だけ見れば、主人公が男でも女でもどっちでもいい気がする。ただそれぞれに描かれる理想像というのが男性は少し多様化しすぎているのかもしれない。男主人公に求める理想が細分化しすぎているせいで、もしからしたら理想の食い違いが起き始めているのかもしれない。なんでこいつはこんなことするんだ? という展開を見たことないだろうか? 主人公と自分との意思に食い違いが起きたとき、読者は本の世界から現実に引き戻される。
しかし、女性主人公という未開拓のジャンルについていえば、いわば2000年代のジャンプ作品みたいなお約束があって、読者と主人公の理想にずれが少ないのかもしれない。




