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三日坊主という言葉がある。
由来は寡聞にして知らぬことだが、たった三日で物事を辞めてしまうことをいうのだとか。とするならば私は今日大きな分岐点に立っているといえよう。この言葉には四日続くならこれからも続くという逆説的な意味がこめられているかもしれない。ならば明日も続けば、私は大いに変わっていくかもしれない。すごい人間になるかもしれない。
そして偉業をなした私はテレビカメラの前でこういうのではないか。きっかけはちょっとした日記だった、と。そのような話を高校生の頃に聞いたことがある気がする。なので実をいうと私が日記を記し始めたのは初めてのことではなく、実に三回目の挑戦なのだ。ちなみに一回目と二回目は三日とたたずに葬り去られた覚えがある。私はあきやすい体質なのだ。
飽きやすいといえば、私には夢がない。もっといえば私には情熱という感情が他の人に比べ欠落しているように思える。小学生のころ、卒業アルバムの将来の夢にイキって「就職」と書いた覚えがある。今思い返すと顔から火がでそうなほどの陰キャぶりだが、そのころから私は確かになりたいものをもっていなかったのだ。これならば「紫ピクミン」や「ふくろう」になりたいといっていた幼稚園児のころのほうがマシに思える。
当然ながら今もなりたいものはない。だから無難に公務員でもと思っていたのだが、そのためには町をよくしたいという思いが幾ばくも不足していた。悲しいことに小学生の将来の夢は未達成の状態である。
話がそれてしまったが情熱がないというのは私が常々感じていることである。私には何かをなしたいという貪欲さや、何かが好きだという感情が著しく不足しているのだ。
タイピング音に反応した母親が降りて来たので慌ててごまかすこととなった。このような日記を親に見られてた日には墓穴を掘って飛び込む選択肢もでてくるので、注意しなければならない。現在では多くの人間がプライバシー空間を家に持っているだろうが、我が家にはそのようなものが一切ないのだ。自慰行為も創作活動も、借り暮らしの小人のようにこっそりと慎重に行わねばなるまい。なぜ両親がプライバシー空間の徹底的な排除という暴挙に及んだのか私の預かりしるところではないが、それが逆に私をスマホという電子的プライバシーな領域へと駆り立てたような気がする。
つい話題がそれてしまったが、きりも良いので今日はここまでにしておこう。情熱うんぬんについてはまた後日語るとする。未来への課題を残しておけば、私のこの秘密の日記も少しは永らえることができるかもしれないと期待をこめておこう。