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後輩たちの成長が目覚ましい。もう私が教えることがないし、私は要らないんじゃないだろうか? どんどん仕事をおろしていたので、私がいないとできないことなんてもうないとは思う。去年の今頃の私はどうだっただろうか。ここまでのことはできるようになっていなかった。一年も経っていないのにこれだけのことができるようになるというのは改めて考えると素晴らしいことだ。
といっても、私でも同期の中では覚えが早いほうではあった。未だにお金を触らせてもらえないような人もなかにはいるらしい。それは本人の成長うんぬんより上がどうなんだろうという感じだが。
今の店長がこちらにきてからちょうど一年たつ。前の店長は性格もアレだが、保守的で仕事を任せてもらえなかった。キーパー業務も任せてもらえなかったので、ブースの中で暇を持て余すことも多かった。仕事において辛いのは何もやることがないことだ。まとめサイトの一つに、「暇は無味無臭の毒薬」というものがある。サイトの中身はあまり知らないのだが、これは実に良い言葉だと思ったのだ。何もやることがない、ならまだやりようもあろうが、何もしてはいけないというのは地獄に相応しい。牢屋の中に入れられ、食べ物と寝床しかないまま数年過ごせと言われたら発狂してしまうだろう。拷問にも等しい所業だ。
良い言葉といえば、私が見ている実況者さんが抱負として実に良い言葉を掲げていた。「流水不腐」流れる水が腐らないように、常に動いているものは停滞することがない。変化と成長を標榜する私にとってかなり感銘を覚える言葉だ。確かに川の水は基本的に腐ることなどない。なぜなら同じ場所で見るものであっても、それは常に新しい水へと変化しているからだ。細菌は古い水と一緒に流され、攪拌され、容易に増えることができない環境にさらされる。
しかし水筒の中の水は動くことがなく、一度根を張った細菌たちは何者にも脅かされることなくその数を増やすことができる。この世界は変わるものだから、留まる者を許さない。死体は分解され、国や組織は瓦解し、変化を辞めた人間は社会に淘汰される。腐った水は捨てられるのだ。
だから私は常に流れる水でありたいという欲求がある。歳をとり、周りが動くことを辞めてしまっても、わたしだけは流れ続けていたいという願望が。私には自分というものがないし、人並というのがうまくできなかった。だからせめてそこだけはという、私なりの最後のよりどころであり、コンプレックスの裏返しのようなものだと思っている。
しかし下を見てみれば私より優秀でない人間など五万といるのも事実だ。そういう人間を見て満足できればよかったのだが、私は綺麗ごとを聞いて育ってきて、それに憧れた人間なので、そのようなものでは不満足なのだ。私は少年漫画の主人公みたいな人になりたいのだ。だから、不器用なりにもいつか死ぬそのときまで己を責めたてることになるのだろう。




