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やはり自分は家にいるとだらけてしまう性格であるらしい。というよりも慣れ親しんだ場所にいると緊張感を維持できなくなるタイプの人間だ。
この二日間の休みはあまり有意義とはいえないような過ごし方であった。今日は会社のミーティングがあったのだが、いろいろと自分の生活を見直さなければならないと思わされたのである。とにかく自分には意識がたりない。理想の自分、なりたい自分、そういった将来的な展望が漠然としていてるため、そこに至る道筋も当然ながら見えてこない。
どういった自分になりたいか、と研修で考えた際に私は、部活動のとある先輩のような頼れる人間になりたいと考えた。その人がどういった人間かといえばうまく言葉にできないが、とにかく頼りがいのある人間性であったのは確かだ。文武両道で親しみやすくしかし真面目でもあった。
私は引っ込み思案な性格をしているものだし、趣味も世間様に大声で話せるようなものはほとんど持っていない。そういった自分の自身のなさがとにかく悔しくもある。自分の好きなものについて熱く語ることができる人間を羨ましく思う。そして彼女がいるわけでもなく、結果とにかく自分に自信が持てないのだ。知らない人と仲良くなるのは存外楽だ。なぜなら彼らは定まった私を知らないし、ありきたりな話題を共有することができるから。しかしながら、いざ関係ができて何かを話すとなると私には話題がない。だからそれ以上にならない。
なんだか話がまとまらず愚痴っぽくなってしまった。結果として今の私に最も必要なものは何かといえば、それすなわち自信なのではないだろうか。ただ自信をつけるといってもなかなか難しいところである。結果をしめせばいいのだろうが、その結果は自信なくしてなかなかついてこないものではないだろうか、とも思えるのだ。
もしかしたら、自信というより必要なのは客観的なものの見方なのかもしれない。私は人に嫌われることを極端に恐れているが、実際のところ人に嫌われたところで何かあるわけでもない。社会の規範に囚われすぎず、もっと単純なものの見方をするよう心がけよう。
私を殺せるやつはいない。たとえ殺されるとして、それ以上のことはないのだ。
 




