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 私のなかで思い描くヒーローにはいつも一人の女の子がいる。実在する人間ではない。いつ作られたのだろうか、それは分からないが結構前から思い描いていたキャラクターだった。

 黒髪で芯の強いまっすぐな瞳。物静かな性格だが人を助けることを躊躇わない。誰に何を言われようと自分が信じたことを疑わない、揺るがない強さがある。どんなに苦しくても、どんなに辛くても、彼女は揺らぐことなく戦うことができる、死ぬまで。そんな強情な人間が果たしているものか。実際にはいないのだと思う。何より、まっすぐなものを持つというのは私と正反対の要素である。だから彼女はヒーローであり、主人公ではない。


 私が思い描く主人公は気が弱く、自分の主張ができず、変わりたいと願いながらも何も行動できない愚か者である。決めたことはすぐに飽きるし、ちょっと人から敵意を向けられたらすぐに委縮する。不思議なことに私とおおよそ一致するではないか。しかし悲しいかな、私にとってそういう人物のほうが心情というのは思い描きやすい。なにせ自分に似ているのだから。

 でも実際のところ、そういう人のほうが圧倒的に多いのではないだろうか。人間というのは物語の人物ほどできたもんじゃない。キャラクターだってコミュニティによって使い分けるし、思想だって一年も経てばまったく違うものになってたりする。苦しいことがあれば苦しくて嫌になるし、それを精神で乗り切るなんてのは生物の構造的に無理なんじゃないかと思える。

 自分の最大の秘密をげろったら腹痛から解放してやるといわれたら、多分そっこうで吐くよね。マジで腹痛のときは自分が異世界の勇者になったと思って乗り切っているけど、解放される手段があるならすぐさま飛び移る。期限すぎた卵を食べて気持ち悪くなったときは普通にトイレでぶっ倒れたし。スタンドのトイレだから普通なら地面なんて触りたくないけど、あの苦しみから少しでも楽になれるならそんな拘りどうでもいいってなる。というか躊躇する思考すら一切でなかったように思う。


 本当に生存がかかった状況というのは、私たちが普段持っている拘りとか、道徳とか、そういうのは隅に避けられてしまうのだろう。でもいざそういうとき、私は誰かのために死ねる人間でありたいと願っている。誰かの代わりに苦しみを背負える人間でありたいと願っている。

 だってその方がかっこいいから。私は自分が普通の人間であることをこの二十数年で知ってしまった。だからこのまま生きればきっと、何事もなく命を終えると思う。それは予定調和だ。魔王の現れなかったドラクエ世界のようなもので、描かれる未来は飽きるほど周りに参考例がある。それをつまらないと思ってしまうのだろう。贅沢なことだが、思ってしまうことは如何ともしがたい。『ジャガーン』という漫画の主人公がこのような思考をしていた。私は共感したが、コメント欄でこれほどの幸せなのになにが不満なのかと袋叩きであった。

 だけど人間というのはそういうものだろ。現状に満足し、私は幸せで、何気ない毎日が楽しくてしょうがないなんてやつがいたら不気味だ。そいつは生物として破綻している。

 だから私たちは求めてしまう。日常を破壊するような、わくわくする出来事を。そこで自分の死が意味のあるものになるなら、そうして死にたいと思うのだ。難儀な話だ。

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