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 色というものがある。

 あるが、それらは果たして本当に存在するのだろうか? いや、間違いなく色というものはあるのだが、私たちの脳がそういった光の波長を色と認識しているだけで、物本来は色を持たないのではないかという疑問だ。

 例えば赤い物でも暗い場所では紫がかってみえたり、黒っぽく見えたりする。それはその赤い物体から反射された光の量だったり、波長だったりが違うからだ。ならば私たちが見ているのは、その物体そのものではなく、ただ光の波長を情報化して捉えているだけなわけだ。

 そう考えると実に奇妙なことではないか。色のついた物質というのは、受けた光をその色に変換する性質を持っているということなのか? しかもそれほど大量の情報を脳が正常に処理できるものなのか? 今こうして文字を打つ私の前にも大量の色がある。それらの色はなんかすごい小さい光の粒だか波だかのはずで、その境がくっきりと正常になるほど正しく世界を見ているのだ。こう考えると超音波で地形を判断することのほうがよっぽど難しいことのように思える。


 実際、世界を「見る」というのは生物にとって偉大な発明だったのだろう。なにせこの地球に動物は多くいれども、どのほとんどが目を持っているではないか。それまでの生物にとって、世界とはまったく知ることのできないものであることが当然だったのだ。五感のうちどれが最初に生物に備わったのかは分からないが、視覚というのはなかでもとびきりに高度なものであるように思う。次が味覚で、聴覚、嗅覚、触角だと思う。触角しか持たない生き物はただ触れるものだけが世界のすべてなわけだ。そう考えるとこれら五感を引き継いでくれたご先祖様たちには感謝したいものだ。

 残念ながらそれ以降偉大な生物的器官というのは産まれていないように思える。しかしそれにしたって、生物の発明というのも機械に負けないぐらい凄まじいものだ。特にすごいのは脳だろう。これを機械的に再現するのはまだ遠い未来の話になりそうだ。同時に、脳みそというのは機械の組み合わせによって物理的に再現できるものだとも思う。生物というのをありがたがる人も多いが、どうしたって人間が物質の塊であることに間違いはない。しかし生物というのは知れば知るほど、これ誰かが作ったでしょと思えてしまうほど精密なものだ。実際、生存競争によって偶発的に誕生したものだとは思えないつくりをしているし、そう思うのはなかなかロマンがあるではにないか。

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