22 9/19
大きな台風がきている。春と秋は過ごしやすい反面、雨が多くて困る。しかし仕事は雨が多い方が楽だし、いつも家からでないのでやはり雨が多いと助かる。雨の日は好きなように掃除ができるボーナスタイムみたいなところがあるからね。
かなり雨風が強いようで、今も外で大きな音がなっている。しかし雨の日に家にいると無敵になった気分になるのでどんどん降ってほしい。さすがに近くの川が氾濫したら車が浸水しそうなので嫌だが。学生のころは雨の日に休みだとなぜかものすごくテンションが上がった。朝になっても薄暗い空、そんな中で活動している人間がいるというのに自分はお布団のなかでぬくぬくしながらゲームをしている。なんとなくそのギャップが心地よかったのだろうか、嫌なガキだ。
先ほど雨が降ると助かるといったが、別で困ったことが一つあった。頭が痛くなるのだ。特に台風のような大きな気圧変化があると頭がなんとなく締め付けれるような感覚になるので、もう気分が駄々下がりである。今は特に問題ないが、昼過ぎはそれでめちゃくちゃ怠かった。
寝むくなく、痛むところもない。健康な状態というのは、当然のことだったのでつい忘れがちだが、やはり値千金といえよう。ちょっと痛む場所がひとつだけでもあれば、人間のパフォーマンスというのは各段に下がってしまう。特に集中が続かないので、考えがまとまらないし、作業中はなんとなくぼうっとしてしまいミスをすることがある。
人間というのは慣れる生き物だが、下から上はすぐに慣れるくせに、上から下はまったく慣れがたい。よく聞くのはお金持ちの習慣というやつだ。お金持ちな人は金があるので、当然生活レベルにかける金も大きい。いいものを食べるし、いいものを使う。しかし何らかの事情により、収入が大きく減ってしまう。そうなれば当然生活レベルもその収入に見合ったものに落とすべきなのだが、慣れ親しんだレベルを落とすというのは難しい。
結局、元お金持ちのその人はいいものを食べ、いいものを使うという生活を辞めることができずに、破滅への道を進んでいくのだ。
健康にも同様のことがいえるのかもしれない。さすがにここまで極端ではないだろうが。
五体満足健康体というのは、要は金持ちの満ちた状態だ。しかしそれらは何かの拍子になくなってしまうかもしれない。いずれにせよ加齢と共にすり減っていくだろう。健康であることが当然であった私たちにとって、それはとてつもないストレスとなる。特にちょっとした怪我で手が上手く動かせないなんていうのは、つい最近まで健康な状態を知っているだけに、そのギャップに苦しむのだ。
こんなこと分析したところでどうしようもないのだが。一つ言えるのは、健康であるというのは、富豪と同じかそれ以上の価値があることだ。それは社会的な価値ではなく、人生における幸せの価値だ。私たちの肉体が黄金でできていることを自覚し、そしてそれを蔑ろにしてはならない。肉体は黄金と違って、錆びて、朽ちてゆくのだから。




