22 9/14
昨日は小学生来の友人のもう一人の方とゲームをした。卒業もきまって、来月から仕事ということで一安心といったところか。どうやら彼なりに色々と苦労があったようだ。あそこの家の父親はかなり難ありな性格と見える。亭主関白というか、昭和の時代の悪い方の考えかたが強く残っているような気配がある。あまり話したことないので、よく知らずに悪口はいいたくないが。話を聞いているかぎりそんな感じだ。まあ誰かの悪口なんて主観でしかないから、聞いた話なんてのはあてにならないのかもしれないが。
それでも私にとって大事なのは公平な立場で正しいことをいうことではない。それは裁判官がやっていればいいのだ。友の近くに立ち、その愚痴に共感することだろう。別に嘘をついているわけではないので、というか聞いている話の通りなら、それは本当い酷い話だと本気で思っているのだ。だから共感できるのだ。そこでわざわざ、でももしかしたらお父さんはこう伝えたかったのかもよ、とかしょうもない意志を汲んでやる必要もあるまい。もしそうだとしたら、そんなことは本人も十分に承知していることで、それでも心というのは簡単に納得いくものではないから吐き出しているのだ。
私も去年ホットラインをいれるときは、店長が自分の悪癖をなんとかしようとしていることには気づいていた。それはそうと、やられたほうはたまったものではない。気づいていようが納得はできない。
誰かに攻撃的な意思表示をされるというのは、本来ならば生命の危機に関するものだからだろう。肉食動物に追い立てられて、彼らも食わねば死んでしまうのだ。仕方がない。なんて得心するやつは果たしてどれだけいるものか。そんなことは知っていても恐ろしいし、殺せるなら殺してやりたいと思うのが普通だろう。自然というのは本来なら殺し合うようにできている。殺してはいけない現代社会において、生物としての在り方のずれがこのような事態を生んだのか。
ところで思うのだが、もはや生物が本来持ち合わせているそういった機能は必要なくなりつつあるのではないだろうか。そのほうが社会が効率的に回る。肉体的にも必要なくなった機能というのはいくつかあるらしい。嘘か真か、人間には尾が生えていたという話も聞く。
どうでもいいけどあの尻尾というのはなんで生えているのだろうか。ほとんどの四足歩行の哺乳類にはついているから、なんか大事な理由があるんだろう。バランスをとるとか、尻周辺の虫をはたくとか。
今調べてきた。どうやら魚から進化する過程で尻尾が残ったらしい。そして尻尾というのはバランスをとったりぶら下がったり、くるまったり攻撃出来たりと、意外と機能性が高かったようだ。それで多くの動物は尻尾を残したまま進化してきたのだろう。確かに海中で生きるなら尻尾はほぼ必須機能ともいえるので、多くの動物がそれを持ち合わせていることにも納得できる。つまり尻尾が嫌いな人間がいないのは、つまりそういうことなのだ。




