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昨日は焼肉を食いにいってきた。それで食いすぎたせいで、朝から何も食べる気になれない。お腹に詰め込みすぎたせいで気持ち悪い。車だったので酒は飲まなかったが、飲んでいたら吐いていたかもしれない。
そういえばITパスポートを受けなおさなければ。確認したら支払期限が八月中だったのでもうとっくに過ぎていたのだ。ていうかなぜかカード支払いができないんだよな。面倒くさい。
というわけで昼から仕事なのに、いまだスープを飲んだだけで何も食えていない。はやく腹の中の肉を消化してほしいものだ。文字にするとどこか猟奇的な雰囲気を感じる。
カニバリズムという文化があるらしいが、最近ではその猟奇性ゆえに有名になったので聞いたことがある人が多いかもしれない。理解しがたい文化だろうが、どのような冒涜も理解を捨てるべきではない。共感はしなくてもいい、しかし理解は大切だ。憧れは理解から最も遠い感情た、というコメントを打つ人が最近多いように感じる。確かに理想を押し付けるという意味で理解からは遠いかもしれないが、別に最も遠いということはないだろう。普通に嫌悪感のほうが理解から離れていると思う。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、という言葉があるように、嫌悪感というのはその人が関連するあらゆる物事を否定してしまいがちだ。
カニバリズムという悍ましい文化もそんな嫌悪感で見られるものの一つだろう。不快なものを前にしたとき、人は理解よりも否定が先にくる。ぞわぞわと細かい足が大量に生えた虫を見て、その生態に興味を抱くよりも嫌悪感で殺すか逃げ出しくなる人も多いことだろう。名前も知りたくない。
しかし、社会に批判さればがらもそれをしてしまうこと、そこにはそれなりの理由があるのだから、視界から消してしまう前に少し深呼吸して観察sいてみるべきだ。思うに、カニバリズムは死者を喰らうことでその知識や恩恵に預かるとか、なにがしかの文化的な理由がメインになるのだろう。そうでない場合というのは、主に社会に批判されているものを己だけが手にしているという、禁忌の蜜に惹かれてしまった者ではないだろうか。性的嗜好で食べるというのはいまいち考え難い。まあそういった度し難い衝動を持ってしまう人もいるのかもしれないが、それは歪んだ本能的な衝動であって、そういうものだという理解しか示すことができない。もう少し語りたいのだが、時間がないのでここまでにしておこう。




