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真の強さとは何か?
少年ジャンプでそのような問いかけをみたことがある気がする。だいたい敵キャラがすごい強いヤツで、「ガハハ、力とは暴力のことだ!」てきなことをいう。敵の力は圧倒的だ。主人公はその力を前になすすべもない。ここで思いだしパートになる。
「主人公よ。真の強さとは何だと思う?」
修行の傍ら、師がそう問いかける。
強さを求めて厳しい修行に明け暮れる主人公は働かない頭でこう答える。
「相手を打ち負かす、力ではないでしょうか?」
「やはりそう思うか」
師の声音はいつもより力なく思えた。
いつもは苛性な師とは反対の姿が気にかかり、彼は問い返す。
「師匠は、何だと思っているのですか?」
師は空を仰ぎ見ている。
その横顔は雲の向こうを見ているようであった。
「儂もかつてはそう思っていた。圧倒的な力があれば、どんな脅威からも皆を守れるのだと。だから、強くあろうとした」
事実、師は彼が知る誰よりも強かった。その圧倒的な強さを求めたからこそ、弟子になってこき使われているのだ。
「未だに儂は一人で竜を殺せぬ。噴火をおさめることもできぬ。無論、魔族の軍を抑えることもな」
だが、と、抜身の剣身のような眼がこちらを捉えた。
「儂らには、できた」
朗々と、力強く、その老人は言い切った。
殺気にも似た武威。
彼の前にいるのは、確かにかつての英雄と違わぬ覇者であった。
「覚えておけ」
絶望のなかで、その言葉は小さな薪のように、小さな光となって灯る。
「お前の側にいる者たちを」
くるはずの衝撃はこなかった。自分を何度も護ってきた、よく知る六芒星の結界術があった。
青き轟炎が横を抜けて視界を塗りつぶす。
「それが儂ら、人の強さだ」
ってな感じの熱い展開があるので幼い私たちはころっと騙されてしまうのだ。でも実際のところこれって「戦争は数だよ、兄貴」みたいな感じだし、覚醒しても結局暴力でかたしているのは変わらないんだよね。これじゃあ強い方が正義なので、勝てば官軍ではないか。しかし実際のところ、そういうものなのだろう。アメリカ様が世界における正義のヒーローみたいな面しているのを見るとそう思う。
以前、正義というのは社会にとって都合のよいものである、という話をしたと思う。そうでなければ社会は成り立たないからだ。だから社会の主導権を握る存在が正義を作るというのも当然のことなのだ。
では結局のところ、絶対的な力とは暴力なのだろうか。おそらくそうだろう。もっというならば、生存権を握ることだ。また力の定義だとか考え出すと面倒だが、それが自分の意思を相手に押し付ける指数であるならば、生死を握ることが最も万人に通じる力であろう。
少林寺拳法にはこのような言葉があった。「愛なき力は暴力であり、力なき愛は無力である」と。ならば「愛ある力」は何というのだろうか。それが正しい「力」だと言いたいのかもしれない。




