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人生を変えてしまう作品があるという。寝食を忘れて熱中し、自分が重ねてきた価値観を根底から覆してしまうような。それは良くも悪くもであろう。
私にもそのような出会いが会ったものだろうか。しかし小説という世界にのめりこんだきっかけは「エラゴン」というファンタジー作品であったと思う。その小説の中で初めて、私は「異世界」に出会ったのだ。海外ファンタジーということもあって、それはリアリティを大事にした硬派なファンタジー作品であった。私がそういったファンタジー作品を好む傾向というのは、源流をたどればここになるのかもしれない。
確かあの日はインフルエンザになり、「皆が勉強しているうちはゲームをしてはいけない」という諫言があったので、代わりに本を買ってくれることになったのだ。特にほしいものもなかったが、なんとなくそのエラゴンという小説を手に取った。正直表紙絵のドラゴンはドラゴンにしてはかっこよくないなと思っていた。
結局、ファンタジーな世界というものに初めて触れ、私はそれにいたく魅了されたのだ。その後はデルトラクエスト、ハリーポッター、ブレイブストーリーのようにファンタジー作品を漁った。そして高校生のころ、小説家になろうに出会った。
最初に読んだのは「盾お勇者の成り上がり」であった。それから「転生したらスライムだった件」を読み、それからというのはもう手当たり次第であった。あのときはまさしく寝食を賭して小説を漁ったものだ。それぐらい、人生においてはじめて熱中したものであったから、私は小説家になりたいと思ったのだ。初めて抱いた情熱を逃がしたくなかったのだ。
だが、現実私はクリエイティブな作業には向いていない。この天性の飽き性には私も呆れるばかりだが、こればかりはどうしようもあるまい。せいぜい都度己を戒めるくらいだ。
儒教に習うに、性というのは天より授かるものであって、それは変えることができないものだ。顔や才能、そして性分、そういった産まれれてより持ち合わせているものを性という。なのでそれに適うよう生きるのがよいという。身分社会を肯定しているので、現代ではどうかとも思えるが、昔の哲学者や宗教家の思想というのは馬鹿にできたものではない。偉人の格言というのが今でも度々引用されるように、文明がどれほど進歩しても人間の思考方法が大きく変化するわけではないのだ。
というわけで私も何か格言らしきものをここに残しておこうじゃないか。できれば私の大事にしている価値観をシンプルに表現してくれる言葉が良い。
「自分を洗脳しろ」
まったくそれらしい言葉がでてこないのでこんなことしか言えない。そもそも格言って何を言ったかより誰が言ったかのほうが大切だからな。こんな言葉はただのごみでしかない。




