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 AIの発展というのは目覚ましいものを感じる。

 昨日はStable Diffusionというものを使って絵を描いてもらってみた。確かにこれはすごい。普通に私より絵がうまい。といっても私はほんの少しかじっただけなのでたいして絵はうまくないのだが。

 やってみた所感としては、目や手といった細かい部位になるとかなり雑になるようだ。しかしそれ以外についてはおおよそ綺麗に作られている。よく見ると腕や脚がなかったり胴体が分離したりしてるのだが。

 それと目的通りに絵を描いてもらうのが難しい。具体的には、昔のファンタジー作品の挿絵みたいな二次毛絵が出力されることもあれば、写真のようなリアルな絵が出力されることもある。狙って写真絵を出力しようと思っても、それはできない。少なくとも、今のところ私が探した情報では。

 ただ、元絵を用意して、それを基盤に新しい絵を作ることはできるようだ。是非ともそれをやりたいのだが、調べてもなかなか難しくてできない。まずそのStable Diffusionをパソコンに落とし込まないといけないようなのだが、それを動かすための環境を構築しないといけないようだ。その環境構築というのが私にはさっぱりで、サイトを見て同じようにやってみても、途中でうまくいかなくなってしまう。

 また休みの日に挑戦してみようか。今のところ個人ブログの情報しかないので、しばらくしたらもっと大手のサイトとか無知な人間でも分かりやすいようにまとめるかもしれない。


 私は機械が好きだ。なぜ好きなのかというと、素早く、そして正確だからだ。なにより、機械は私を嫌うことはない。私のコンプレックスを抑えており、そして私が求めれば正確に答えてくれる。

 しかしながら、機械について学ぼうという気にはあまりならない。これは本当に機械というのが好きなのだろうか? どうなのだろう。好きこそものの上手なれという言葉があるように、好きならばやはりそれについて知ろうとなるのではないだろうか。

 その答えは多分、機械という分野が大きすぎるからだ。多分私は、機械のなかの何かがすきなのだろう。具体的にはボイスロイドとボーカロイド。どちらも音声ソフトが元になった架空のキャラクターだ。キャラクターが好きということはやはり人間が好きなのだろうか。やはり感情のないものが好きというわけではない気がする。

 きっと機械により管理されている、裏表のないキャラクター性が好きなのだろう。なぜなら彼らは私を嫌わないから。しかし人間の素晴らしさというのは、誰かを嫌い、憎しみ会う歪みにこそあると思う。それは私の歓迎するものではないが、そういった負の存在がなければ人生というのは面白くならない。逆に、それらなしには真面に機能しないように生命というのはできているのだ。だから機械が持つ完全性というのは、ないものねだりで憧れはしても、それは憧れに留めておくのが賢明であると思う。

 富める黄金時代に生きていたのは人間であって人間ではない。それは持たざる者たちが求める喜びを、そのまま喜びとして知っていて、そのことに満足し続けられる存在だ。そんなものは決して人間ではない。私たちは強欲で不完全だ。足るを知らず、これさえあればなんていう幸せは長く続かない。しかしそういう存在のほうが、やはり素晴らしいと思うのだ。素晴らしいの定義について再考しなければならないが、なんとなくそうであって問題ないと思えるのだ。

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