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命よりも、感動のために生きたかった人たち
チ。という作品のキャッチフレーズだ。目新しく特別なことを言っているわけではないが、この言葉は私を強く打った。アニメ化も決まっているらしいので、是非とも拝見させていただきたいものだ。生きる、という意味について考えてみたくなったのにはそういう背景がある。
この言葉を聞いたとき、「これわたしのことだ(´;ω;`)」となったのだ。正確には、そのような生き方をする人間でありたいと思っている。今から死の危険と隣り合わせの異世界にいけると言われたら、私はすぐさまいくことができる。そして間違いなく後悔するだろう。日本に帰りたいと泣くことになるだろう。
それでも、ここではないどこかに、感動を求めているのだ。
「そんなこと言わずに、現実で感動を探すほうが先ではないでしょうか?」
でたな、オート君め。俺の批判ばかりしやがって。正直お前の言葉を書きたくないよ。
「感動を、と貴方は言いますが、それは挑戦しなければ得られないものです。仕事も、趣味も、旅行でさえ行動しなければ感動は得られない。もしあなたが異世界に感動を求めるというのなら、今すぐに聞いたこともない外国の切符を買って身一つで旅行をするべきでしょう。もちろん、国内だっていいはずです。
しかし、それさえしないというのに異世界など。実に失笑ものですね。貴方は現状に保守的になっているだけで、何も変える勇気がないから、誰かに、あるいは何かにむりやりにでも変えてもらうのを待っているだけだ。まるで大口を開けて鳴く雛のようではないですか」
やかましい。元来人間というのは保守的になるものなんだよ。多分。挑戦、感動、最近よく聞く耳当たりのよいフレーズだが、実際には変化というのは痛みを伴うことが多い。日本という国があまりにも停滞していたから最近になってそれが素晴らしいものかのように叫ばれているだけだ。だから、感動してぇなぁ、てぼやいているくらいが丁度いいんだよ。感動なんてのはゲームでも本でも疑似体験できるのだから、わざわざリスクを背負うのは賢いやりかたじゃない。
「それでは、命よりも感動のために生きたかった人たち、というのは貴方には相応しい言葉ではないですね」
あぁ、そうだね。まったくもってそうだよ。そこまで情熱のある人間なら、君とこんなところでしょうもない問答をすることもなかったろうよ。
「しかし私は、そんな中途半端な貴方のアンチテーゼとして生まれた存在です。貴方がそのような態度でいる限り、私は貴方を批判しつづける」
ということらしい。今日は時間がないのでこれで終わりだ。




