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なーんか疲れたような気がする。特別なことをしたわけではないのだが。いやした。先日の三連休は実家に帰っていたのだ。帰っていたが、ずっとゴロゴロしていたわけではない。むしろ二日とも友達と遊びにいき、高速を往復したのでむしろ疲れた。
しかも今日は土曜だというのに、先輩は応援にいき手洗い洗車をできる人が私しかいなかったのだ。コーティングが入っていたので誰もこないでくれと願っていたが、残念ながら三台もきてしまった。しかも社長とお得意様で断り切れずに引き受け、休憩を飛ばして猛洗いするはめになった。クソが。雨降るのだからこないでくれよ。
雨といえば昨日はたいそうな雨模様で、駐車場への道が完全に冠水しており、どうやって車までたどり着こうかと悩まされたものだ。結局脚立を使って高いスタンドの外壁を登っていったのだ。危ないのでもうやりたくない。
梅雨が明けたとかいう話だったが、どうも天気予報を見るにまた梅雨がやってきたかのような雨模様だ。本当はあけてなかったんじゃないの?
そういえばあげるべき話題があった。元首相の安部さんが凶弾に臥せったそうだ。仕事中に突然その話題を聞かされたので、もう本当にびっくりした。刺されたではなく撃たれたというのがまた。まさか日本においてこんな事件が起きるとはね。散々平和ボケというワードが出ていたが、ロシアの件もあるし、時代が動き出そうとしているのかもしれない。
英雄というのは時代が求めるから生まれるのだと、そういう話を以前しただろうか。こういうとき私が主人公だったらオート君に確認したら、すぐに正しい答えが返ってきそうなものなのだが。彼はあくまで私の人格の一形態なので、記憶についても私と同じものしか共有していない。他作品だと人格が入れ替わっている間は眠っている人格の記憶がない、みたいな話も多いけどどうなんだろう。そんなことあり得るのか? 別人格を強調するためにあえて記憶まで分割しているみたいな可能性もかなりありそうだ。
時代が変わるといえど、一般人である我々にどのような影響があるかというと、まだ何ともいえない。実際のところ、そう大きな変化はないのではないか。ただいま戦争真っ最中のロシアでさえ、入ってこない商品があるくらいで大きく生活が変化している感じではなさそうだ。実際に自分の住んでいる場所が襲撃されないかぎり、日常を破壊するほどの変化というのはおきないのかもしれない。
ただ、私たちの祖父母らがそうしてきたような、今までの生活が当然のように続くと考えた老後というのは別に考えた方がいいのかもしれない。戦争になったら、福利厚生など、不要なものから斬り捨てられるだろう。今は裕福だから綺麗ごとが通る時代だ。しかし少しの前の時代では、人は国の人員であって個人ではなかったのだ。




