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 今日エネオスカードの獲得勉強会というのがあった。ロールプレイングをしたのだが、私さん素晴らしいですね! と講師の方から皆の前でお褒めの言葉を頂いた。単純だが嬉しくなってしまうのが人間というのものだ。この業界にいると自分が優秀な人間なのではないかと勘違いしそうになる。しかし、元気で明るくハキハキと、というのは意外と他の人にはハードルの高いものなのかもしれない。逆にお客さんの前で素の自分でいることの方が難しい気がするのだが。

 私は小学生のときから、けっこう色んなグループと付き合いがあった。いわゆる陰キャグループとも陽キャグループとも付き合いがあったのだ。生来的に陰キャ気質の私にとって陽キャに交じるというのはなかなか大変であったのだが、それでもカースト上位にいたいという欲望が私に彼らと付き合う選択を続けさせた。自分をただの陰キャと思いたくなかったのだろう。今でもそう思っているのだと思う。肝心な女の子との付き合いはなかったのだが。

 そんなわけで、居合わせたコミュニティにおいて演じる役割がまったく違った。私にとって自分の性格というのは何個かあり、場合に応じて使い分けるものだという土壌はそうやって生まれたのかもしれない。

 加えて、他人に嫌われたくないという性格が八方美人な仮面を作り上げた。どうして人に嫌われることをこんなに恐れるようになったのか、正確なことはわからない。いつからそう思うようになったのか、でもかなり早い段階であったのではないだろうか。思い当たる節としては小学生五六年の担任に嫌われていたことだろうか。今思い返してみても嫌われていた。今でもあいつのことは嫌いだ。もし同窓会で会うことがあったら、「なんで僕のこと嫌ってたんですかぁ?」と嫌味のひとつでも言ってやりたくなるぐらい嫌いである。思い出したらムカついてきた。

 私はどちらかといえば人を嫌いにならない人間だ。嫌いな人、というワードを聞いて思い浮かぶ人などほとんどいない。というか今のところあの担任以外はっきりとは出てこない。苦手な人や後ろめたい人はいるが、それは嫌いとはまた違う。

 これ以上思い出すとつまらない苛立ちを覚えそうなので今日はこのあたりにしておこう。話を戻すと、私は仮面を作るのが得意な人間なのだろう。コンビニで作っていた仮面がここでさらに成長して、そこそこ立派なものになっているのではないか。そんな風に考えているのだ。

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