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寝る前、ゲームをするとき、ちょっと時間があると、そういえば最近日記書いてないな、と。そうなんといえばよいのか、しこりがあるような気分になることが多かった。ほぼ一か月近く離れていたので、そんなものはなくなりそうなものだが、一応一年以上やってきただけあってしつこく意識のなかに居座られる。
熱海に旅行にいったり、また研修にいったりと、書くことはたくさんあるはずなのだが、いまいちそういう気分にならないのだ。とはいえ、そういうちょっとしたイベントにいって帰ってくるたびに、ここで自分を見つめなおさなければとも考えていた。最近は自分を見直すことが減っていたので、またできるだけ日記を記していこうではないか。
今日はコロナウィルスの三回目のワクチン接種にいってきた。朝打ってきて、現在夜だがそこまで酷い症状はでていない。ちょっとした微熱と、打った腕の筋肉痛のようなだるさだ。念のため今日を含めて三連休をいただいている。が、まあこの調子なら明日にはだいぶ楽になっているだろう。というか今日も普通にゲームしていたし。とはいえ一応昼寝もしたが。
ゲームといえば、最近エルデンリングを始めたのだ。前情報を一切仕入れないようにしていたので、とても楽しめている。攻略情報をガンガン使ってさっさとコンテンツを消化する人もいるらしいが、あまり賢いやり方には感じない。ゲームというのは楽しむためにやるものだ。それを攻略するために作業のようにやるのでは、なんか違うでしょと言いたくなる。
フロムソフトウェアのダークファンタジーはその独特の世界観が人気の一因であると思う。エルデンリングという偉大な力、輝石の魔術、なぜか指が重要な立ち位置にあるが、それはなぜなのか。ブラッドボーンでいえば啓蒙と獣というのを対比しているのが面白く感じた。どっちも過ぎたれば人を滅ぼすが、人が生まれついてもつべきものでもある。獣性と理性の狭間にいるどちらにもなりきれない中途半端な存在が人間なのだ。
話がそれてしまった。要はそういった知らない世界をRPGとして自分の手で切り開き、知っていくことが楽しいのではないのか。私はそう思う。なろうファンタジーはかなりテンプレになりがちなので、そういった独特な世界を知るというのは新鮮で面白いものだ。もちろん、自分なりの世界を作っている人もいるのは間違いないのだが、それを描くことの難しさはなんとなく推して図れるというのものだろう。キャラ設定一つとっても大変だというのに、世界を丸まる設定しようなんて、なんとも無茶な話ではないか。それを一人でやった狂人がトールキン先生なのだろうが。




