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 死後の世界とはいかようなものか。それについて昔のひとは色々考えたのだと思うが、以外にも現代人である私はそこに思慮を巡らせたことがほとんどない。おそらく、なにもないというのが最も真っ当な言葉だろう。意識がないので、そもそも私にとっての死後の世界というのは存在しないのだ。それは産まれる前と同じものといえるかもしれない。

 科学信仰の現代社会では、魂という不確かな存在は否定される一方だ。そのはずだ。どう考えたってそのようなものは存在しようがないのだから。しかし、なぜか魂の存在をないものだとわかっていながらも肯定している人が多いように感じる。盆にはナスときゅうりで精霊馬をつくり、墓に人を埋め、ホラーなるものを娯楽として楽しんでいる。ちなみにきゅうりは馬に、ナスは牛に例えているらしい。先祖の霊がそれらに乗って早めにこちらにきてくれるよう祈るのだとか。目的地に乗り物があってもいかがないものか…。いや、長旅ご苦労ということで帰りはそれに乗ってかえるのかもしれない。

 ともかく、魂という存在は科学との相性の悪さに反して広く受け入れられている。特に小説家になろう界隈ではあまりに一般的なものとして普及しているので、他の人から見たら奇妙に思えるのかもしれない。まあ異世界転生なんて魂がなければ始まらないし。記憶だけを植え付けられた主人公とかでもできそうだが、なんかダークな話になりそうだ。自分という存在の連続性、その本質を魂というものに根付けているから拒否感がないのかもしれないが、記憶を植え付けられた赤子と聞くと拒否反応を起こす人は多そうだ。読者の観点からすると気味が悪いことだろう。

 魂という存在は唯一無二でその人のそのものとしての性質を持つ。対して記憶というのは不確かで不明瞭なものとして、同じ記憶を持つ者が存在するという展開はあっても、同じ魂を持つ者が存在するという展開はあまり見ない。なぜなら魂は個々人の本質であり、まったく同じものは存在しないからだ。少なくとも、そう見ている人が多いのではないだろうか。

 だが、アニメのVIVYでは心を今までの経験と語っていた。彼女がアンドロイドとして歌をを歌えたのは、彼女が誰もがそうであるように多くの経験を紡ぎ、人と会い、はなし、考えたからだと。詳しくは覚えていないのだが、なんとなくそんな感じだった。心と魂の関係となるとまた面倒な議論になりそうだが、それらはいつも密接に結びつけられる。なんか話が明後日の方に進みだしたので突然ここで終わりにしよう。


 だが生き物というのは本当に不思議なものだ。人間はいまや世界中の生物を殺しつくすことができるほどの力を得ている。だというのに、生物を機械的に再現することはできない。たとえ細胞一つから人間を再現できたとしても、それはますます生命の神秘と言わざるをえないだろう。

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