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一時期宮部みゆき作品に少しだけはまっていた。彼女は時代もの小説をよく書いているのだが、私が好きなのは彼女のファンタジー小説だ。ブレイブストーリーと聞けばわかる人もいるかもしれない。日本ファンタジー代表作ともいえる作品だ。
この物語はおよそ三部で構成されているのだが、興味深いのは導入であるファンタジー世界にいくまでに一部を丸ごと使っているという点だ。現実世界で主人公が不幸なできごとに見舞われ、次第に不思議に出会っていく。もし願いが叶うのなら、もしこの状況を変えることができるのなら。不思議の灯に導かれる誘蛾灯の蛾のごとく、主人公はその世界に導かれていく。その顛末を描いた第一部だ。もしこれが小説家になろう作品であったなら、足の速い読者たちは本編に突入する前にその場を立ち去っていそうな気がする。しかしこのじれったさこそが、小説をより面白くしていると思うのだ。
異世界にいくと何をしたいのか、多くのなろう小説ではその目的が漠然としているか、読者にとってはいまいち共感性に欠けるものだ。地球に帰りたい、権力を手にいれたい、生き残りたい。それらしい目的にきこえるが、一億円を手に入れたら何がしたいと似たような雑さを感じる。というのも仕方ないのかもしれない。異世界転生、転移というのはだいたい突然のできごとで、突然一億円当たったら? と聞かれるのと似たような状況で物語が始まるからだ。作者は本当に異世界にいったことがあるわけではなく、当然主人公たちが何を見て、何を感じたのか、それらは想像によって補うしかない。
それはもちろん宮部みゆき先生も同じことだろう。だから彼女はその導入に力を入れたのかもしれない。主人公と一緒になってその不幸を味わい、泣きたくなるような苦しい出来事を共有することでその願いに強い根拠を持たせる。意地悪なライバルを打ち負かす前に苦しい状況や許せないと思える状況に追い込まれることで、打ち倒すべき敵をよりはっきりさせるのと同じことだろうか。
まあこんなことはどうでもいいか。実際のところ宮部みゆき先生の小説の素晴らしいところはその世界観であるのだ。狐笛の彼方、獣の奏者、英雄の書、作られる世界が生き生きとして力強さがあるのだ。何より料理がおいしそう。抜群に料理が美味しそうなのだ。現実に存在しないはずの料理が本当に存在する郷土料理のようで想像するだけで垂涎ものである。
どれぐらいその表現がすごいかというと、実際に宮部みゆき作品で出てきた料理を再現するイベントが行われていたようだ。料理が美味しそうと言えば、「カボチャ頭のランタン」という作品も料理表現が抜群にうまい気がする。おそらく現実の料理なのではあるのだが、擬音表現とかの使い方が上手いのだ。
朝は辛い。辛いが、休日の朝というのは格別なものだ。寝ぼけまなこで布団から這い出て、少し遅い朝食の用意をする。
六枚切りの食パンから二枚を挟んで掴む。もっちりとした感触が早く食えと急かしているようだが、私は焦らずトースターにパンを整列させた。つまみを捻るとチリチリと音が鳴りだす。暇を持て余し暖色の光が食パンの表面をなぞる様子を眺めているうち、次第に香ばしい香りが鼻をくすぐる。
チンと威勢のよい音がなってトースター内に影が落ちる。蓋を開けると狐色になったパンが姿を現した。
ここまで書いてなんだが全然美味しくなさそうなもので、もうやめだ。




