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第4楽章 「脱出への希望」

 肩に加えられる振動と、懐中電灯の眩しい光。

 2種類の外的刺激によって、失神した私は何とか意識を取り戻した。

「ああ…私、弦楽器専攻1回生の浪切茉莉(なみきりまつり)と言います…」

 未だ意識が曖昧だった私は、異変に気付いた警備員さんが助けてくれたとばかり思っていたの。

 しかしそれは、錯覚だったんだ…

「いっ…いやああっ!」

 瞬きを数回試みた私は、思わず悲鳴を上げて飛び退いてしまったの。

 私の肩を揺さぶっていたのは、鏡から現れたボサボサ頭の男だったからだ。

「ち、近寄らないで!お化け!怨霊!変質者!私を一体どうする気なの?」

「待ってくれ!怪しい者じゃない…と言っても、無理もないか。鏡から出てきたんだからな。」

 異様な現れ方に似合わず、男は意外な程に理性的な口調だった。

「そのままで構わないから聞いてくれ。俺は人間だ。君を取って食いやしないから安心してくれ。」

 そうは言われても、鏡の中から出てきた人間に心を許せる訳がない。

 そんな警戒心を解かない私を無視して、男は懐中電灯を照らして練習室の中を物色し始めた。

「あっ、私の楽譜…」

「サラサーテ作曲、『ツィゴイネルワイゼン 』…文字が反転してない!俺は元の世界に帰れたんだ!」

 楽譜の上部に記された題名を一読するや、男は歓喜に満ちた声を上げ、子供みたいに泣き崩れてしまったんだ。

「あ、あの…」

「やった!やっと人間のいる世界に帰って来れた!これで脱出出来る…あれ?」

 スキップするような軽やかな足取りでドアに駆け寄った男は、狐に摘まれたような顔で向き直ったの。

「なあ、ドアノブを知らないか?」

 床に転がる千切れたドアノブを私が指差すと、男はまるで液体窒素をかけられたかのように硬直した。

「そのドア、壊れちゃったんです。私達、閉じ込められちゃったみたい…」

 私の話を聞き終えるや、放心状態の男は膝からガックリと崩れ落ちた。

「う、嘘だろ?やっと出口が見つかったってのに、今度は地下室に閉じ込められるのかよ…」

 どうやら彼は、何らかの理由で鏡の中に閉じ込められていたみたい。

 そして出口を探して彷徨っていたらしいの。


『あれ…?』

 男の独白を何気なく反芻していた私の胸中に、種々の疑問が沸き上がってきた。

「あの…貴方は鏡の中から来たようですけど、この地下練習室の鍵は壊れているんですよ。鏡の中では、この部屋にどうやって入ったんですか?」

「事務課からマスターキーを借りて入ったんだ…出口になる鏡を探して、色々な建物に入ったけど…」

 どうやら話が通じる相手みたい。

 これなら希望が持てそうだよ。

「じゃあ、鏡の中に入れば、この部屋から出られるんじゃないですか?」

 この頃になると、男に対する忌避感は多少マシになっていたんだ。

 まあ、傷んだスーツにボサボサ頭というムサ苦しい風体にも関わらず、男から異臭が全くしなかったのも大きいけどね。

「しかし、それだと鏡面世界からは出られない。こっちと向こうを行き来出来る鏡は、数が限られている。この鏡を探すのに、俺はずっと歩き続けたんだ。もう、何年になるだろうな…」

 道理でスーツの仕立てが古臭いと思ったよ。

 あんな分厚い肩パットの入ったジャケット、私達が幼稚園の頃に流行ったデザインじゃない。

「あの鏡が移動出来るとしたら、どうですか?」

 私は男から懐中電灯を拝借すると、全身鏡の足元を照らして示してあげるの。

「あっ…ああっ!」

 煌々と照らされた全身鏡のキャスターを見た男の目は、懐中電灯の光よろしく真ん丸に見開かれていたんだ。

「しめた!これで俺は…いや、俺達は出られるんだ!」

 男は歓喜の声を上げて全身鏡に近づき、まるで洗面器に顔を浸す時みたいに静かに鏡面へ沈んでいったの。

「俺みたいにやれ!大丈夫だ、決して怖くない!」

 こうなったら一か八か。

 鏡面に首だけ突き出した男に促されるように、私は全身鏡に身を委ねたんだ。

鏡の中から現れた男性は、N5270GL「傷つけられたトイレの鏡」の主人公のその後の姿という想定です。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] いざ、鏡の世界へ?! [一言] やっぱり鏡から出てきたのは、「傷つけられたトイレの鏡」の主人公さんでしたか~! そして鏡の世界へ入った浪切さん…はらはらします。
2020/10/18 12:30 退会済み
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