第1楽章 「絶望の密室」
何気なく練習室の時計を見上げてみると、事務課の業務終了に間もない時刻だと気付かされる。
どうやら演奏に夢中になっていて、時間が経つのを忘れてしまったらしい。
「あーあ…これじゃ事務員さんに小言を言われちゃう…」
軽く溜め息をついた私は、先程まで弾いていたウァイオリンをケースに片付け、帰り支度に取り掛かった。
どうせ明日からはゴールデンウイーク。
アパートに帰ってシャワーを浴びたら、そのまま寝てしまおう。
家族の目や門限を気にしなくて良いのが、下宿暮らしの気楽な所だ。
そんな空想に浸る私の意識を現実に引き戻したのは、ドアノブを握った時の違和感だった。
「あれっ…?何で開かないの?」
いくら私が力を加えて引いても、ドアはびくともしない。
「開いてよ、いい加減に…えっ…?うわあっ!!」
それでも無理に引っ張り続けた私の身体は、急に力の掛け先を失い、そのまま床に倒れ込んでしまった。
「イテテ…ああっ!?」
何とか起き上がった私の手の平には、しっかりとドアノブが握られていた。
変な力を掛け過ぎたせいで、ドアノブをもぎ取ってしまったらしい。
「そ…そんな…」
この地下練習室のドアは内開きだから、室内から蹴破る事はできない。
他の練習室が全て使われていて、止むなく借りた古い地下練習室。
こんな事なら借りなければよかった。
「駄目、通じない…」
藁にも縋る思いで取り出した携帯には、無情にも「圏外」と表示されていた。
「そう言えば、千恵子さんがあんな事を言ってたっけ…『地下練習室を借りる時はドアストッパーを使って、ドアが完全には閉まらないようにした方が良いよ。』って。あれって、この事だったんだ…」
共通基礎科目でよく一緒になる、ピアノ専攻の友人がくれたアドバイスが、今になって身に染みる。
後悔先に立たずとは、まさにこの事だ。
「きゃあっ!で、電気が…?!」
追い討ちをかけるように地下練習室の電灯が一斉に消され、私は漆黒の暗闇に閉じ込められてしまった。
何らかの手違いが置きたのか、事務課や警備員の人達は私が残っている事に気付かず、電源を落として施錠してしまったようだ。
これで私が脱出出来る可能性は、完全に潰えた事になる…