第62話 キャメロンの陥落
外は完全に日が沈み、月夜が照らす時間になっていた。
あの後も今後の情勢について話が続き、長居していた浩司達はそのままゴニス達の家で一夜を過ごすことになった。
ここは大所帯のようだから、いきなり大人が三人も泊まるとなると迷惑になると思い、丁重にお断りした。 今日、初めて会った人の家に厄介になるのは悪いだろうと思うのは普通のことだろう。
だけど、この申し出はゴニスに退けられた。
「旦那、ここはスラム街ですよ? 俺達ぁ、マーケットの奴ら以外に、物騒な者がゴロゴロいやす。 一晩、ぐっすり休まれたいなら、ここに泊まってやってくだせえ」
ゴニスが何を言いたいのか、今の説明で察せなければただの阿保だ。
ここはゴニスのお言葉に甘えることにした。
もし、ゴニスが悪巧みを考えていたのなら、子供達がいるような場所には案内はしないはず。
外見と異なり、それなりに頭の回転は早そうな男だ。罠に嵌めるなら地下室とか人気がいない所に連れ込まれていただろう。
しかし、先程の話を聞く限り、ゴニスは信用のおける男だと思う。
他人の、それも奴隷の命を大切に考えている奴だ。
これで夜な夜な襲われたら人を見る目が無かったってことだ。
でも、ゴニスという男はそんな悪人じゃないと断言出来る。リーナも谷口も、多分同然のはずだ。
浩司達が食堂に降りたときには、子供達の姿はなかった。
きっと寝ている時間なのだ。
代わりに大人達が先程よりも増え、どのテーブルにも厳つい男達がグラスを片手に犇めき合い、陽気な音楽にあわせて歌っていた。
一日働いて疲れたその体を労う、大人の癒しの時間、ってところだ。
騒騒しい集団を横切り、キッチンの奥に通されたオレ達は席に促された。
見たところ、調理人達が賄いを食べるスペースのようだ。
「いつものアレ、出来ていやすかい?」
「あいよ! マスターと客人の分、ムートンの蒸し焼きだよ」
夕食のメインディッシュは、リーナが食べられなくてがっかりした、何時だか食べ損ねたムートンだ。
横を振り向くと眼をキラキラさせているリーナ。尻尾をフリフリさせて口からヨダレが溢れている……
そんなに食べたかったのか━━
「戴いて良いのか?、良いのだな?」
「そりゃもちろん、どうぞ食べてください」
「ありがたく頂戴する」
リーナは一応、王族としてテーブルマナーは学んできたのだろう。優雅にナイフで肉を切り、フォークで刺して口に運んでいるように見えなくもない。
何故なら、人の倍の速さで口の中に入れていったからだ。
ムートンって言うくらいだ。当然、羊の肉だと思い、一口食べた。
一回、二回と噛む度に何か違和感を感じた。
これ、豚肉じゃん。
ムートンって、ムー・豚だったのか……
先程の羽を生やしたグラマーな婦人が泊まる部屋を用意しててくれた。
客人を待たせないとは中々出来る婦人だ。
ひょっとすると、この婦人はメイド系の奴隷なのだろうか。
初め、部屋は二つしか用意されておらず、この時間だ、流石に急すぎたんだと思い、浩司は何も躊躇せずに、今後の行動も相談したいという気持ちもあり谷口と同じ部屋へと向かおうとした。
「えっ?」
「え?」
「はい?」
「えっ!?」
「ん?!」
その場にいた一同が何気なく驚嘆の声を発した。
オレは訳も分からず立ち止まった。
「何か問題でも?」
「えっいや……」
リーナは急にモジモジしだした。
リーナの様子を見たゴニスがっかりした口を開いた。
「旦那……もしかして旦那はこっちの趣味をお持ちで?」
ゴニスは親指を立ててみせた。
「そんな訳あるか」
オレはボインが好きだ。 いや、大好きだ。
「だったら、旦那は姉御の部屋で寝るのが普通じゃないですか?」
「オレが? リーナと? 同じ部屋?」
オレは思考が停止した。何故だ?
「……伴侶となる者同士、とっ当然ではない、のですか?」
これはもしや━━そういう事なのか?
そうなのか?オッケーってことですか?
リリエナさんや、そんなに顔を赤くして何を考えているんですか?
オレは将来のお婿さん、何をしても合法なんですよね?
「━━その通りだと思う」
オレは凛々しく答えた。
「……ただのスケベじゃないですか」
「いいか谷口。 今、日本とティグラーガ王国の未来はオレとリーナにかかっているんだぞ」
「最もらしいことを鼻の下を伸ばして言われても説得力ゼロですけどね」
「あっ、因みに下は子供達の部屋ですから、今日だけは営みは辛抱してくださいな」
羽のグラマーな女性から釘をさされるオレであった。
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浩司達がゴニスの元で反乱の兆しがあると聞かされたその日の夜。同じく月夜が綺麗に照らされている中、ある軍勢が砦に向けて行軍を開始していた。
"キャメロン砦"
ここは、貿易が盛んであるティグラーガ王国に取っては、商人や旅人から関税を取り締まる重要な関所として機能している。また、戦略的にも、大国である鉱山国家オルドニクとの間に位置しているため、最初の砦としての役割を担っていた。
ティグラーガ周辺は、比較的広大な平野と実り豊かな森林が存在しており、周辺諸国との往来は街道も整備されている。
ただ、鉱山国家オルドニクとの間には、高く聳え立つ山々が存在していることで、大国同士の大きな武力衝突は、先の戦争までは今までなかった。
キャメロン砦は、オルドニク側に聳え立つ山の一部を削られて造られた山道の出入口の直ぐに建造されている。
これは、鉱山国家オルドニク側からの軍勢が山道から出て来た場合、弓矢や呪術による遠距離攻撃を浴びせ、軍勢を殲滅させるためにもっとも機能を発揮出来る立地に建てられている。
仮にも、このキャメロン砦が攻め落とされたなら、オルドニクにとって強力な橋頭堡となるだろう。
安全に大軍を移動させることが出来るのに加えて、補給路の確保が可能となる。
キャメロン砦は、敵味方にとって戦略的にも重要な砦なのだ。
砦の中には多数の騎士達が国境警備のために駐在している。
オルドニク側に聳え立つ山は、自然豊かな実りが多く、それを餌としている魔物はそれなりに生息している。
普段ならこの魔物達は、餌を手っ取り早く確保するのにキャラバンを襲ってくることがある。
その魔の手から守るために国境警備隊がある。しかし、今はそのようなことはなかった。
それは産卵時期になった飛竜が山に渡って来ているからだ。
丁度、産卵時期に入った飛竜は気が立っている。そんな存在に恐怖を感じている魔物達は、静粛に山の中で身を潜めることしかできない。
その為、国境警備隊は山には入らず、キャメロン砦に常駐していた。
この産卵時期には無謀にも山越えをする不届き者が居なくなり、わざわざ危険を省みず山に入らずとも、国境警備隊の代わりに飛竜が退治してくれる。
いや、捕食といって良いだろう。
国境警備隊からしてみれば、いわば飛竜の恩恵とも言えなくもない。
そんな気の抜けた時間を、無駄に砦で過ごしている国境警備隊の中で、惨劇が始まることは誰も知る由がなかった。
「よう、今日もカードでぼろ負けしたって?」
見回りから戻ってきた騎士は外套を壁に掛けながら、椅子の上で項垂れている同僚に声をかけた。
同僚の手には先程まで仲の良い騎士達と興じていたカードが握られていた。
「だぁァー、チクショ! アイツ、絶対にイカサマしてやがる。俺が何回も連続して負けるなんてあり得ん」
憤慨し、足をジタバタさせた。
「そう言うな、カードはお前から持ち掛けたんだろ? だったら、先にイカサマの準備だなんて出来るわけがないだろ」
そう、諭すように答えた。
「けどよ……」
まだ納得がいかない様子の同僚に、喪失感に似たような、ため息を吐いた。
「また次に取り返せば良いじゃないか、━━お前のギャンブルの強さは俺がよく知っている」
「あっあぁ、そうだな。 お前にそう言われちゃ、次は勝てそうだ」
カードで負けた男の顔色が変わった。
気まずさが覗けた。 悪い意味で答えたつもりはなかったと、そう言えば嘘になる。
騎士なりの皮肉を吐き出したつもりだ。
このキャメロン砦の重要性が解らない同僚に、二人の関係が瓦解しない程度に胸の内を答えたに過ぎない。
騎士は忠実に在るべき。
これは彼が教導騎士団にて、叙任されたばかりの新米騎士の時に、騎士長チーフ・ナイトに教わった言葉。
騎士は国民のため、王国のため、国王に忠誠を誓っている。
彼の家系は代々王国騎士を輩出する下級貴族の家柄であり、国民の生活を守る仕事をしている家柄に誇りを持っていた。
下級貴族は貴族の中でも特異で、騎士爵又は準男爵がその部類に入り、男爵位以上の貴族からは見下されることが何かと多かった。立場上、矢面に出る機会や城下町に顔を出すことが多く、庶民との繋がりが自然と出来上がり、庶民からは気取らない気さくな貴族様と認知されていた。
貴族社会にも規律はある。戦になれば分相応の責任がある為、上中下のランクに関わらず、戦場にて騎士団を率いる義務がある。
しかし、それも形だけのものに成りつつああった。 義務を果たそうと、誠実に職務を全うする忠誠心の高い貴族は希少な存在となり、それ以外の貴族は、『銭勘定しか頭にない』『税の無駄遣い』『遊び人』、とまで言われる貴族は少なくないかった。
その希少となった貴族の中にコールベンは、己の野心を叶えるために自ら志願をして、近ごろキャメロン砦の配属となった。そしてたった今、巡回任務を終わらせてきたところだった。
先程の発言は少々大人げなかったと思い、少し話題を替えた。
「そういえば、カレンはどうしてる? 元気にしているのか?」
とぼけるように尋ねた。
「あっあぁ、もう少しで五ヶ月になるよ。 悪阻も終わって、今は赤ん坊の服を拵えているようだ。この前の封書にも俺達の無事を祈ってるってさ」
「カレンは優しいな」
コールベンは笑みを浮かべるも、その目に宿るものは別の感情である。
「あぁ、俺には勿体ないくらいの出来た女だよ」
両手を上げては自分の手に余るようだと言わんばかりな態度。
反吐が出る。
相手の気持ちも知らず、ただ国民の血税を搾取する堕落した男。
そのような悪しき存在に、本来であれば自分の手で幸せにするはずだった大切な女性を盗られた者の気持ちなんて解るはずもない。
その大切な愛でるはずであった女性が子を宿すなんて、許しがたい。
全ては国が、この腐りきった王国がそうさせたんだ。
そんな会話を交わしていたら、遠くから鐘を叩く音が微かに聞こえる。
鐘の音ともに、鎧特有の金属音を鳴らしながら走り回る音が徐々に増してきた。
走り回る金属音が増すにつれて、鐘の音も激しくなる。
「何だよ? 夜間演習があるなんて聞いてないぞ」
同僚は、慌てる素振りすら見せないで、未だにカードを握っていた。
「これは敵襲だ」
とても落ち着いた声色だった。
「ハァ? 敵襲って。 この時期、魔物共は大人しく寝んねしてるんじゃないのかよ」
「その通りだ。 攻めてきたのはそれ以外だ」
「な!? じゃあ、オルドニクか?」
同僚はコールベンに詰め寄ってきた。
コールベンはその問いに答えるべきか一瞬、躊躇した。ほんの数秒に過ぎなかったその間に、答えてやる義理はないと判断した。
「おい、コールベン。どうなんだよ?」
尚も答えを求めている。
コールベンが何かを告げようと口を開こうとしたその矢先、二人しかいなかった待機室の扉が勢いよく開かれた。
「ハァ、ハァ━━正門前のバラン隊が全滅した! 早く持ち場につけ!」
「何だと!? おい、一体どうなってんだよ、敵はどこのモンだ?数は?」
「わからん、ただ、正門が突破されるのは時間の問題だってよ!」
「おいおい、勘弁してくれよ。俺はなぁ、こんなとこで死んじゃいられねぇんだよ!ガキが嫁の腹ん中にいるんだ。 おい、コールベン、どうにかならないのか?」
浮き足だっているのが見てとれた。
何とも無様で滑稽なことか。
何を怯える必要があるのか。
騎士は忠実に国民の命、生活を守るために、己の命を賭してでも、責務を貫き通さなければならないとうのに。
こいつは何を怯えて、何を俺に問いかけているんだ。
理解しがたい。
「早く俺達も持ち場に行くぞ」
同僚を促すように、側に立て掛けてあった剣を差し出す。
「あっあぁ。 そうだな……すまん。取り乱した」
「大丈夫だ。 よし、行くぞ」
コールベンは同僚と、召集しに来た騎士と共に正面中庭へと向かった。
コールベン一行が、階段を降りている最中、剣と剣がぶつかり合う音が次第に激しさが増してきた。
それは、砦の中に敵が侵入していると同義だ。
あと、もう少しで戦闘が行われている所、目と鼻の先だと思われたその時、戦場特有の喧騒さをかき消す程の、これまでに聞き覚えのない、何かが弾けた音が響き渡った。
きっと、後方支援で術士が火球系の呪術を放ったのだろうと、誰もがそう思うだろう。
中庭に到着した時には、既に残酷な風景へと変貌していた。
騎士達の亡骸がそこかしこに転がっていた。
「ううう嘘だろ!? さっきまで戦っていた筈じゃ━━」
同僚の顔には絶望の二文字が書いてあるように見えた。
コールベンは辺りを見渡す。 先程まで戦闘が行われていたことは間違いない。 どの亡骸も剣が引き抜かれている。
しかし、この状況を観ると、まるで歯が立たなかったようだ。
"これが彼らの力なのか"
コールベンは身震いした。
これは決して、恐れからくる身震いではない。
自分が望んだ野望を叶えられる力を前に武者震いをしたに過ぎない。
「おい! 何だあの巨体は!?」
同僚が指を指していた先の煙の奥からぼんやりとではあるが、何かがそこには居た。
その正体が解っていなければ、畏怖の念を抱くことだろう。だがそれは、私からしたら勝利の神、救世主に他ならない。
コールベンはゆっくりと鞘から剣を引き抜くと、虫を殺すかのように目の前にあった背中を突き刺した。
「ぐはッ! な━━こっコールベン?」
振り向いてきた同僚の顔には絶望から何故と、問いかけている。そう書いてあるように思えた。
「おい!お前、何をしてるんだ!何故味方に━━ひっ!?ああぁぁ助げぇ━━っぐぁ」
骨が砕けるような音が響き渡った。
先程まで生きていた、今は死体だが、それは首を支点に宙に浮いていた。
前面に漂っていた靄が晴れると、そこには獣人とは言いがたい、異形の姿が巨体な斧を持ち立ちすくんでいた。
「主がコールベンか?」
問いかけてきた者はまるで牛の用な顔をしていた。
「はっ お待ちしておりました。ミノタウロス族族長ロース様」
「そんなにかしこまるな同士よ。お主の働きにより、我が団も被害を出すことなく進軍することが出来た。礼を言う」
「勿体ないお言葉。族長自ら救援に来ていただき、我が主に代わり感謝を申し上げます」
「何、志を同じく抱く者同士、ザネンダ大臣の助っ人に来たまでのこと。 国王派はあとどのくらいいるのだ?」
「正面の隊とここの者達以外では、あと五十名程かと。 外の見張りは全てこちら側の者であります」
「そうか、思ったほど国王派は残っていないのだな。 これも大臣の助力があっての事なのだろう。 それでは、マスケティア隊は下がり、剣士隊で内部の国王派を一掃する。 コールベンよ、この者達の指揮を任せる」
「はっ。 お任せを」
ロース族長の後ろに控えていた、不気味に喉を鳴らすリザードマンの剣士隊を見渡した。
この異形の者達がこの理不尽な世界を変える。
そう考えると、パラディオ大陸全土に対して武力を持って侵攻する俺達は神に仇なす者として断罪されるのか、それとも救世主となりえるのか。 それはきっと、ティグラーガを攻め落としたら解ることだろう。この世界が不公平で不平等なものだと気付く者が現た時、称賛をもって迎え入れられるか、それとも反逆者として罰せられるか。
今は自分の気持ちに忠実であればいいのだ。
コールベンは自らにそう言い聞かせ、仲間の血を吸った剣を高く掲げると、号令を発した。
「今、我々は欺瞞に満ちたこの世界に、秩序をもたらすため、種族の垣根を超え、崇高なる使命のために集いし同士である。神が作りしこの世界に、正義をもって立ち上がった者達だ。 我に続け!真の平和を勝ち取るために!」
雄叫びを挙げたリザードマンらによる侵攻で、一晩にしてキャメロン砦は陥落した。




