7話
目が醒める。知っているようで知らない部屋に自分がいることを寝起きの頭で理解する。
確か自分は徹底的に破壊されたはずのギルド長室で眠り込んでいたはず、と眠る前の状況の記憶を掘り起こす。記憶は確かにボロボロの部屋で寝たと言っている。だがしかし今彼が起きた部屋はまるで時が戻りでもしたかのように綺麗に片付いているではないか。これだけでも驚くべき光景ではあるのだが、「ギルド長 ラム・カイン」と書かれたプレートが立てられた執務机には死亡が確認されたはずのラムが報告書と睨めっこをしているその姿が全てをどうでもよくさせた。夢であるとここで確信を持った彼であるが、友人であるラムの死に感傷的になりすぎてついに夢の中にまで故人を作り出してしまったのか、と自嘲するように乾いた笑いをしながら友人の元へと歩み寄る。
「おいラム、お前が報告書読みながら難しい顔するまでに成長するとは友人として嬉しい限りだ。……ん?」
声をかけるも一切反応を示さない。無視を決め込んでいる雰囲気でも無くまるで声自体届いていない、この空間にルゴールが存在しないかのような反応。まさかと思い肩を叩こうとするとその手が空を切った。もっと正確に言えば肩に置かれるはずの手が肩をすり抜けた。
「自分が見ている夢の癖に、友人と話す事も出来ないとは融通の利かない夢だ。……普段の仕事ぶりを見る機会もなかったから見てみるのもまた一興か」
何かに頭を悩ませている様子で資料の一点を見続けてかれこれ三十分が経過した。その間、ルゴールはといえば幽体のような体で自分が視認されない事をいいことにギルド中を散策していた。そうしてわかったことは今いる時間帯は始業前の朝。職員たちが思い思いの話題で盛り上がっている様子が散見された。この夢のように融通が利かない役所仕事と一部からは揶揄されるギルド職員という仕事。そんな職員である彼ら彼女らの普通の一面を知れた気がした。……そんな彼らとは二度と話す事もないと考えてしまうのは感傷的な感情が生み出した夢の世界に意識を置いているからだろうと諦めた。
散策し終えてラムの元に帰ってきたのだが、当のラムといえば部屋から出て行く時と変わらぬ姿勢で未だに悩んでいた。一体全体何をそこまで悩んでいるのか、流のルゴールも覗き見が悪趣味であるとは思いながらも背後に回り資料を覗く。そこに書かれていたのは、寝る前に彼が発見した報告書であった。
「あれは部屋で見たものと同じ報告書か?なぜそれがここに?……まさか今私が見ているこの景色はラムの最期の瞬間なのか!?」
信じられないと言わんばかりに口をあんぐりと開ける。過去を見ていると断定できる要素などどこにもないのだが、嫌に細部まで再現されたこの部屋、先ほど散策していた際には気にならなかった世間話の数々が過去を見ていないとも断定できる要素ではない。
しばしの間呆然としていた彼の意識は扉を叩く音で現実に引き戻された。「入れ」と許可が出ると一呼吸をおいて部屋に足を踏み入れたのは中年の男性職員であった。
「ラムギルド長、何かお話があると伺ったのですが?」
「俺はまどろっこしいのは嫌いだから単刀直入に聞かせてもらうぜロック部長。……あんた誰だ?」
入室してきた職員が件のロックという人物という事もありより一層これからの二人のやりとりに注目しようとしていた矢先、ラムからとんでもない疑問が投げかけられ絶句する他なかった。
「……『誰だ』とは酷いですね。私は私ですよ?」
「俺たちだって根拠がなくて疑ってるわけじゃないんだぜ?確証があって聞いてるんだからよ、ここはお互いの腹を割って話そうや」
人当たりの良さそうな柔和で温厚を絵に描いたような笑顔が一転、まるで仮面を被っていたのかと聞きたくなるほど感情がどこにも見えない無表情に切り替わる。温度を感じることなどないはずのルゴールが身震いするほど部屋の温度が物理的に下がったように錯覚するほど。
「見くびっていた訳ではないが、それでも私はお前の能力を過小評価していたようだな。この場を借りて謝ろう」
「世間を騒がせる『顔剥ぎ』様に一泡吹かせられたのなら嬉しいねぇ。で、この今回はこのギルドを現場に選んだ訳かい?」
「私がいる時点でそういうことだ。そしてこれは決して覆ることない事実でもある。お前たちには死んでもらう以外の選択肢はない」
「それを聞いて安心したよ。万が一にも交渉が通じてしまうような相手なら一方的にブチ殺せねぇからな!!!!」
ロックという男が「顔剥ぎ」である事もそうだが、ここまで感情を持たずに大量殺人を正面切って宣言できる人間がいるのか心底恐ろしくなる。殺害宣言をされたことを皮切りに、ラムがその身を乗り出しロックの襟首を掴んだかと思えばメリケンサックと籠手が一体化した特注の武具による殴打が始まった。
殴打の嵐はロックに当たるだけに留まらず、部屋のありとあらゆるものを破壊しながら終わることはなかった。永遠に続くのではないかとにわかに感じ始める頃になってようやく嵐は止み、夥しい量の血を流すロックが糸を絶たれた操り人形のように崩れ落ちた。顔面は殴られていない箇所を探したほうが早いほど徹底的に殴り込まれており、鼻は折れ曲がった上に埋れ右頬は大きく陥没している始末。それだけに折れ曲がっていない手足がより一層不気味さを醸し出す。時折痙攣するその姿はまるで人間が動いているようには思えないほど、目を逸らしたくなるような姿であった。
誰が見ても瀕死の状態である殺人犯を前にするラムの表情は依然として険しく、最大級の警戒をしながら一声。
「……気絶したフリでもしてんのかい?」
「フリだなんてそんなこと言うなよ。自分の武器に誇りを持ってもいいと思うぞ?なんたってこの私を数秒間意識を失わせたんだからな」
血を滴らせながら幽鬼のように潜在的な恐怖感を抱かせる起き上がり方をする。満身創痍を思わせる見た目とは裏腹に、その動きは極めて軽快でありあれほどの殴打がまるで意に介していないように見えるのは気のせいではない。