6話
「昔の領土拡大のために度々行われた侵略戦争のために、戦地に派遣されていた頃とは大きく状況が変わっているからな。今では王都の警備と地方の治安維持が仕事の大半、なれば我々騎士団の面々がここまで実力が落ちることなど自明の理」
「否定しないとは、どうやらよくご自分が身を置いている組織のことを理解なさっているようで感心しました。それだけに悲しいですね。強さと知性を持ち合わせた優秀な人材が、騎士団長という地位に甘んじていられるのは」
騎士団を馬鹿にされたと言っても過言ではないにも関わらず、激昂する訳でもなく、不快感を滲ませる訳でもなく今自分が身を委ねている組織の弱さを端的に言い表した。そんな返しを聞いた時の客人の心の奥底から深い失望感を滲ませたような声色。ルゴールの眼前にて佇む客人が一体何を以ってして甘んじていると嘆くのか。胸に渦巻く拭ようのない違和感だけが強く印象付けられる此度の会話は、客人が呆れたのかそれきり続けられることはなかった。
本を払い除け、少しばかりフラつく頭を気にしていてはきりがないと割り切って立ち上がる。意外なことに絶好の攻撃を仕掛ける機会であったにも関わらず、客人はルゴールの態勢が整うまで律儀に待っていた。
床に転がっていた愛剣を担ぎ、仁王立ちするその姿はまるで御伽噺に出てくるような一騎当千の強者を幻視してしまうほどに様になる。相対する客人は一度は収めた得物を抜き逆手で構える。力むことなく、闘志や殺気と言ったものを醸し出すわけでもない自然体を極めた佇まいは暗殺を生業とする者であることを如実に表す。
お互いの間合いを見定めるように緩く円を描きながらも、確実に両者の距離は縮まっている。しかし決め手に欠けるのかお互いに仕掛ける素ぶりを見せることはなく時間だけが過ぎる。
その均衡を破り、先に仕掛けたのはルゴール。剣先を真っ直ぐ咽喉もとめがけて突いた。戦場においては相手もまた急所を鎧で防御しているため、使われることが非常に少ないこの剣技。されど急所を無防備に晒し出している相手に急襲で使用すれば、一切の抵抗なく対象の無力化を行うことができる。
完璧な形で決まったかと思った強襲だが、これを驚くべき反応速度で回避。完全に切っ先を躱瀬田訳ではなかったようで、首の薄皮に剣傷が走り血が滴る。自分の耳元で鳴る風切り音に、これが反応できていなければと想像することが恐ろしくなる。改めて隙が生まれたルゴールへと目を遣った時であった。
突きの動作をしていたはずの剣が急停止し真横に振られている。そのまま剣の腹は客人の右腕に直撃し、骨の折れる乾いた音をいくつも残して振り切られた。ルゴールとは対照的な柳のように細い体に手足の客人は、力加減をしていない剛腕が力任せに振り切った剣によって風に吹かれた小枝のように軽々と吹き飛び壁を突き破り一階の広間へと落下。腕の骨と体のいくつかの骨をこの手で折った確かな感触に、戦闘不能状態に陥っていることを願いながら一階へと急いで駆け下りる。広間に降りた時には確かにそこに落ちた形跡はあったのだが、客人の姿はどこにも見当たらなかった。まんまと逃げられてしまったようだ。横薙ぎの際に腕ではなく、足を砕かなかったことを悔やみながら元来た階段を上がる。
「……あばらを折ったはずだから走って遠くへ逃げる、ということはできまい。巡回中の騎士たちに警戒を呼びかけてもいいのだが、あいつらの実力では返り討ちにされないか」
真っ向勝負と力技によって今回はことなきを得た彼だが、相手は本来は影に潜み命を刈りとることに秀でた暗殺者。この灯りの少ない今日という日においては最大限の実力を発揮されることだけは避けねばならない。例え、今回のこの事件について知っている人物であろうとここは下手に刺激することはせず、怪我の治療にでも専念してもらったほうがこちらとしては都合が良いと結論づけた。『顔剥ぎ』の大規模な殺人といい、暗殺者といい、異常者たちが表の世界を生きる彼らの預り知らぬところで静かに動き始めていることに危機感を覚える。
得体の知れない何かが王国の中を跳梁跋扈するそんな恐ろしい未来にはさせまいと決意を新たに、真っ二つになったり穴だらけになったりしたりと当初より困難を極めることになった資料漁りを再び始める。
東の空に太陽が顔を見せ空が白み始めた頃、なんてことはないギルド運営に関連する資料の裏面に何か走り書きされている資料を見つけた。
「これは……?日付は今日だ。『ロック部長がまるで別人のような振る舞いをしている』だと?」
文字からして女性が書いたと思しき走り書き。そこに出てくる「ロック」なる人物に赤い丸がなされている。これはラムによるものだろう。となると、このロックという男が「顔剥ぎ」であるという疑いが現時点では非常に強い。早々にこの男の所在と経歴を洗い出す必要性が出て来た。ただ流石に戦闘後から寝ずに文字ばかりの資料を漁ることが辛かったようで、走り書きされた資料だけ鎧の中に入れてその場に倒れこむようにして眠り始めた。騎士団長という立場柄、報告書などを読む機会は多かったが如何せん畑違いの資料を読むとなると勝手が違ってくるようだ。
死んだように眠りこけるルゴールの頭元に一つの影。それは先ほど煙のように姿を消したはずの客人。情報を知った彼を殺しに来た、というわけではどうやら無いようで得物は鞘に仕舞われており抜き放つ素振りすらない。代わりに彼の頭に手を翳し何かを二言ほど呟きその手を退けた。
「……関わるなという警告はしました。ですがそれでも首を突っ込んでくるのであれば貴方にも知る権利はあると思った故の行動です。では地獄を楽しんでください、そしてようこそ我々の黒く昏く歪んだ世界へ。にしても力加減くらいはして頂きたいものですね」
折られた右腕と胸部を庇いながら恨み言を残し、今度こそ本当にその姿は徐々に闇と同化し最後には認識することができなくなった。
部屋には再び静寂が戻り、ルゴールの規則的な寝息の音だけが小さく響く。