5話
扉を支える蝶番だけが残された部屋へと通ずる出入り口をくぐり抜ける。
物という物が辺り一面に散乱し、木製の棚や机は恐らくラムの剛腕による一撃を受けて木っ端微塵となっていた。決して広くはない部屋で彼と真っ向から勝負を挑めば、手練れとはいえ遅かれ早かれあの巨木のような手足の一撃が掠るようにも思える。だが現実は優位であるはずのラムが一方的に殺害されたという最悪のもの。複数人による襲撃、不意打ちなども考えられるが部屋のこの荒れようからして、その可能性は極めて低いものだろう。ラムを殺害した奴は恐らく真っ向から彼を殺害した、と結論づけた。
「となると、今度は『見知らぬ人間を部屋に招き入れるか』という問題にぶち当たる」
ルゴールの言う通り、ギルド長という立場にもなれば暗殺などにも日頃から気をつけねばならないくらいには周りから命を狙われやすい役職。そんな彼が殺人鬼をみすみす部屋に招き入れるわけがないのだ。そうなると考えられる殺人鬼の可能性はぐっと絞られ、かつ思いもよらない正体へと近くことになる。
「まさか……『顔剥ぎ』の正体はラムも顔を知る人物なのか!?何らかの方法でその結論にたどり着いたあいつが自ら呼び出したのか!?」
あくまで可能性に過ぎないこの考えも、そうではないと言い切れないことが空恐ろしい。考えなしに行動を起こすような男ではない筈と思いながらも、あの正義感の強い男であれば呼び出して自首するようにと説得を試みたのかもしれない。その結果はこの現場が全て物語っている。結果を悔いていても仕方がないと、この部屋にもしかすると手がかりかもしれないという可能性が浮上したことは大きい。散乱した膨大な数の資料の回収に勤しむ。
「ここらで手を引いていただけませんかね、王国騎士団長ルゴール=フォン=シュトロームベルク殿」
「……これは私としたことが資料を漁るのに夢中になり過ぎた。背後を取られるとは」
入り口の方に眼を向けると全身黒で統一された夜間に隠密行動をするにはもってこいの服装の人間が佇んでいた。状況把握ができるようにと目の部分だけは必要最小限の範囲で切り抜かれており、この暗がりで確信を持って断言はできないが、その瞳の色はこの国では見かけない浅葱色をしているように見えた。悠長に観察をしていると、腰に携えた短剣に手をかけゆっくりと抜剣する。先ほどの言動から察するに、ルゴールの行動はどこかの段階から監視されていたらしく今ここで資料を探されることは、眼前の相手にとっては不都合らしい。即ち眼前の客人は明確な敵ということになる
「手を引けと言われて『はいわかりました』と言うとでも思っているのかッ!」
言い切ると同時に両腕の袖口に仕込んだ短剣、計四本を客人の方向に投擲。攻撃と言うよりも不意打ちによる隙を作ることを主目的としたこの投擲は、彼の思惑通り客人が飛来した得物を叩き落すことによって成功したと言ってもいい。
「小賢しッ!?」
叩き落す動作の隙を突き、右腰に下げた愛剣を抜剣。ガラ空きになった胴体に対して斬り上げを狙う。咄嗟に半歩下がられ剣先は客人の服を斬るだけに留まった。ルゴールの剣が振り切られたことを確認すると、態勢を立て直し大きく一歩踏み込み懐に詰める。ここまで詰められると客人が先ほど披露してみせた半歩下がることによる紙一重の回避も難しい。
『並大抵の騎士であれば』が文頭に付くときに限っての話ではあるが。
どうする事もできないまま、客人の短剣はルゴールの腹部に吸い込まれるように突き立てられかのように思われた。いつの間にか振り切った剣から右手を離し、左腰にぶら下がるもう一振りの剣に手をかけ迫り来る短剣を弾き飛ばすように真横に抜き放つ。横からの思わぬ衝撃に、腹部に刺さる筈であった短剣の軌道は完全に明後日の方向へと変えられる。
追撃にと二刀による斬り上げと斬り下げを試みるもあくまで距離を空けるために振るった剣が当たるわけもなく、難なくいなされ客人は部屋の内部へ、ルゴールは入り口へと立ち位置を変える。
一息つく間もなく客人は散乱した書類を蹴り上げ、即席の目くらましを作り上げる。対するルゴールは素早い相手に、どうしても振る速度の落ちる二刀流による片手持ちは危険と判断。一振りを鞘に収め両手持ちにすると同時に、書類の白い壁を真一文字に斬る。真っ二つに切り裂かれた紙のうちの数枚から短剣が生え、そのまま勢いを殺すことなく顔面めがけて飛翔する。投擲された短剣程度では自身の鎧を貫通することなどできないと、叩き落す事もなく真正面から受ける。金属と金属のぶつかる特有の音を鳴らしながら、ぶつかった側の短剣が地面に落ちる。
視界から紙のついた短剣が消えかけた頃に左の側頭部に衝撃が走り、続いて右の側頭部にも衝撃が走る。倒れこむことは辛うじて防いだが、大きくよろめき勢いを殺せぬままに本棚へ激突。僅かに残っていた本たちもこの衝撃で全て落下し、これが偶然の目くらましになった。始めの衝撃が短剣を囮にした頭部への蹴りとわかったときには、本ごと真正面から蹴りを食らっていた。
本棚に埋まりながら意識を手放しそうな頭を全力で働かせる。間合いの範囲外にてこちらの出方を伺う強者に対してどう動くべきかを考える。対集団戦においては大雑把な剣技でも対処できたが、今回の対個人しかも同格以上の実力を伴う相手には大雑把では返って隙を作りかねない。
「騎士団長とてぬるま湯に浸かっていればそんなものですか」